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骨のnatsuoのレビュー・感想・評価

(2021年製作の映画)
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「超現実的な骨による愉快な儀式」

レオン&コシーニャ監督『オオカミの家』と同時上映された本作。美術館建設の為の調査で、作者不明の1901年に製作された世界初のストップモーション・アニメーション作品が発掘された。
少女が2名の人間の骨を使って恐ろしい儀式をする。2名分の人骨は少女の意のままに動かされ、少女はある目的の為に儀式を独りで続ける。それは復讐でもあり救いでもあり、そして愛でもあるのだった。


1901年に製作された、というのはそのような体であって実際はレオン&コシーニャ監督、アリ・アスター製作総指揮で2021年に製作されたもの(『オオカミの家』より後にできたもの?)。『オオカミの家』上映の前に流れるものであり、どちらかと言うと本編『オオカミの家』への前導入、これから開かれる世界への入り口的な立ち位置にも感じる。もちろん、『オオカミの家』を鑑賞する上で本作は外せない作品であったと感じるし、15分という短さでありながら非常に強く印象に残った。
ただただ恐ろしい儀式を観させられるが、決して怖いだけでは終わらせてくれない。この映像はどこか人間賛美でも自然賛美でもない、超越的、超現実的("シュールレアリスム"の和訳の一つ)な愉快さを感じる。骨は、人間においてとても滑稽("骨"という字が使われているのにも納得がいく)で異形なものであると僕は感じる。でもやはり骨がないと人間は生きていけない、骨は(物理的な)人間体を構成する上で一番の基礎となるものである("骨抜きにする"という言葉もある通りである)。しかし骨というのは普段生きている上で見ることは滅多にない。自身の身体に骨があるとは知っていても、自身の骨を直接認識したことがある人はそういないであろう。思い返すと19年間、人骨を見たことはないのかもしれない(少し気味の悪い話になってしまって申し訳ない)。そんな僕にとって、骨はある種超現実的なものに感じる。哲学的な考え方になるが認識論として、僕が認識したことがないのだから現実には存在しないものなのかもしれないという考え方に陥ってしまう(僕はかなりこういったバークリ的な考え方をする人間だと最近気づいた)。最も身近にあるものでありながらその存在を疑いもしてしまう。骨というものはかなり複雑なのだと個人的に思う(あくまでも無知な僕の感じ方だが)。
そんな骨で儀式をする少女の様はとても恐ろしいがとても愉快。これがシュールレアリスム、シュールさの芸術的に優れている点なのかもしれないが、よくわからない可笑しさに包まれて怖くて震えながらも楽しくて笑いそうになった。骨という存在然り少女と儀式然り超現実的であるが非現実的ではない妙な気味の悪さがあって面白かった。1901年に製作された作者不明の作品という、ある意味で見てはいけないもののような摩訶不思議さと、古典的な美しさ恐ろしさを伴い、結局何を観させられたのか、いや何を観てしまったのかわからない気持ち悪さのまま終わった。

先も述べた通り、本作は『オオカミの家』本編開始前に併映されたもの。『オオカミの家』もこの比ではない異様さを観せてくれたが、その入門的な立ち位置としてとても面白かった。ストーリー(性)に関しては重要ではない(無知すぎて理解しきれていないのでそう割り切ることにする笑)し、決して観るに耐えない気持ち悪さではないので、非常に洗練された芸術作品としてとても価値のある作品だと感じる。もはや(シアターで)観れてよかったなという幸福感が1番かもしれない。

2023.10.11
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