I

ダイナソーJr./フリークシーンのIのレビュー・感想・評価

5.0
ダイナソーjrのことを心の中で師匠と呼び始めたのは2012年、高校3年生の秋のこと。今でも鮮明に覚えている。
毎週末は地元の図書館に篭って受験勉強に励み、その帰りにCDコーナーで借りた洋楽CDを聴きあさって次の1週間を乗り切るというルーティーンを繰り返して、勉強とカルチャー体験の両立に取り組んでいた。
先の見えない高校を卒業してからのこと、大多数の友達たちとは違う道を歩むであろうことが見えてたからこそ感じていた不安。
そんな大きな孤独を抱えていた18歳の俺の心に寄り添ったのがダイナソーjrの1991年のアルバム“GreenMind"だった。
煙草を加える女の子、背景には荒野。カッコよくないわけがない。
絶妙なスカし具合に惚れ込み、借りてきた5枚の中で真っ先にCDを再生させた。
ヘロヘロの声だけどパワーのあるメロディックな轟音ノイズ。孤独を紛らわすような疾走感のある楽曲たち。そんなサウンドの虜になって以来早10年。今でも定期的にダイナソーjrを聴いている。

心の中で師匠と崇めていたダイナソーjrのドキュメンタリーが本作。改めて知ること、初めて知ったことなど様々な発見があってファンにとってはたまらない作品だった。
バンド名が同名バンドの申し立てで変わったり、ソニックユースにその才を見出されたりetc…
Wikipediaで仕入れて既に知ってる話もあったけどメンバー個人が普通に喋っている様子を初めて見ることができた。
そこで気づきたのだが、俺が感情移入すべきはボーカリストのJではなく、ドラマーのmurphyだったということ。
J自身は“孤独"のコの字すら感じない真の奇人(にして天才)であり、その中で周りの人間との関係性や自分の立ち位置で悩み苦悩していたメンバーこそがMurphyだったのだ。まるで高校生の頃の自分と同じように。
劇中でJの発した「ニルヴァーナほど売れなくて良かった」という言葉と、 SonicYouthのキムゴードンが不仲時のダイナソーについて語った「彼らは交流してるけど、交流していなかった(Communication,but no communication)」という言葉が印象的だった。

満足しているけど、強いて言えばJのクリエイティブに関する話をもっと聴いてみたかったというのはある。
ダイナソーjrの好きなポイントは音楽性以外にも、ジャケットアートや販促物におけるあの“気持ち悪い(けどどこか可愛げのある)クリーチャー"でもあるのだが、あの発想がどこから出てくるのか、Jのクリエイティブの原点は幼少期の音楽体験以外にどこにあるのか。そういうこともしりたかったな。
まあ、それをやるとしたらダイナソーjrのドキュメンタリーではなく、Jマスキスという男のドキュメンタリーになるわけだが。

有名にならなくてもいい。
誰からも愛されなくてもいい。
好きなことをして好きな音楽を作り続けてください。
あなたたちのような歳の取り方ができるように僕も頑張りますよ〜
THX Dinosaur.jr!!
I

I