APlaceInTheSun

TAR/ターのAPlaceInTheSunのレビュー・感想・評価

TAR/ター(2022年製作の映画)
5.0

 この映画を観て様々な思いが頭を駆け巡るが、1番強く思うのは「恐ろしい」という気持ち。
どんな人間でも簡単に転げ落ちるし、その原因は頂点に立ち権力を振るう側にもある一方、スキャンダルに飛びつき騒ぎ立てる大衆だけでなく、権威ある者の側近やその人を支えていたと思われる人物もあっと言う間に掌を返すし、最初から利用する事しか考えず近づく人物もいる。
そんな権力の構造をまざまざと暴き出す本作に恐ろしさを感じる。

誰もがスマホを手にし、常にSNSにアクセスしている現代の私たちは、常に面白いネタを探し、過ちを突き、集団の力で容易に権威者を引きずり下ろすことが出来るようになった。
指揮者はオーケストラの演奏者に囲まれ一挙手一投足を凝視される。その陣形は容易に前述したキャンセルカルチャーやハッシュタグアクティビティなどの世相を連想させるアナロジーとして効いている。

クラシック音楽の頂点に上り詰めた筈の主人公でされ、綻びが見え始めたらあっと言う間に。
恐ろしい転落劇ではあるが、ラストの展開は幾つかの謎を残すが心地よい後を引く。

主人公TARは貶められキャンセルされた被害者ではあるけど、じゃあ非はなかったかと言えば全然そうではなく、音楽大学の学生マックスへの詰め方、オーケストラ内でのポスト抜擢の方法などセクハラ・アカハラだと言われても仕方ない。ただ彼女の音楽への追求の仕方や、身体的に音に対する過敏性(才能とは裏腹の)は否定できない、という絶妙なバランスで描いている。

悠久のメコン川を船で通る際に言及される『地獄の黙示録』が意味するものとは。人によって様々な解釈を許容する懐の広い作品といえよう。
個人的には、カーツ大佐よろしくベトナム(カンボジア?)の人民を率いてクラシックとハードミニマルテクノを融合させた新しいクリエイター集団の帝国を築いて欧米圏のカルチャーにゲーム音楽で逆襲!みたいな事を想像して楽しんでいる。


◆◆◆以下、「TAR」2回目の鑑賞で気づいた事や考えた事をネタバレ有りでつらつらと◆◆◆

【TARのラストが何故モンスターハンターなのか】
まず1つ目の理由としては監督が日本文化好きでゲーマーでもあり、モンスターハンターの曲が単純に好きみたいです。
監督の伯母さんが日本人で日本に滞在経験もあるようですね(Bunkamuraとか抹茶とか日本に纏わる単語も出てきてましたね)。
2つ目は、作中で「非ナチ」という言及がありましたけど、ナチスドイツ時代に迫害されたユダヤ人指揮者とか、逆に親ナチ政権で戦後に非ナチ化裁判で追放された指揮者がいて、そういう指揮者達が映画の黎明期に映画音楽家として活躍した事実があって。
権威としてのクラシック音楽に対して新興で下に見られていたいた映画音楽ってのがあり。
じゃあ今その関係にあるのが、確固たる文化として地位を築いてきた映画(あるいは映画音楽)に対して新興の文化としてゲーム(あるいはゲーム音楽)があると。

 権威主義の固まりのようなクラシック音楽界の頂点から転がり落ちたTARが、全てを失ってそれでも残った音楽への情熱をぶつけるカルチャーがゲーム音楽でその場所はアジアだと。それぞれ後進で未開拓ではあるが、未来がある、というメッセージを受け取る。

3つ目として、
クラシック音楽界の頂点に立ってベルリンフィルで指揮をとるTARの、類まれな才能と傲慢な振る舞いは、モンスターに近いものがあると。しかしTARを貶めようと策略を練ったり、大多数の力でSNSなんかを使って権威を引きずり下ろそうとする一般大衆もまた、これはモンスターではないか?と。(これは現代人への非常に痛烈な問題提起でもあるなぁと。)



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
APlaceInTheSun

APlaceInTheSun