にゃっぷ

TAR/ターのにゃっぷのネタバレレビュー・内容・結末

TAR/ター(2022年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

点で描いて、線を繋ぐことを鑑賞者に作らせることにこれだけ徹底してるのは、ハリウッド映画ではじめて見た気がする。(ハイコンテクスト。アピチャッポン級とまでとはいかないが。)それを意識して鑑賞しないと、置いてきぼり食うはず。

ケイト・ブランシェットは大変よい。ここまでやったらもう思い残すことはあるまい。何度も見返す。

あとから思いついたが、もしこのケイト・ブランシェットのター役がクリスチャン・ベイルみたいな男性役者がゲイでの設定だったら映画の企画として成り立たないのである。

横暴カリスマ天才のオッサンキャラを公にレズビアンの女性でやっても、中身がオッサンていうところに、ミソがある。女性を下位に描いているという批判が存在するらしいが、オッサン権力者構造のもとで、それに迎合して、のし上がる女の中身は(日本の自民系の女性政治家とかさ)女の皮を被った、オッサンであることを、よく描いてくれたともおもう。
女と男に分けることに意味があるのかさえ問題にしている。

「キャロル」にワイタ人間には麗しいゲイ役のブランシェットに眼福なんだが、もう、あんたなら横暴帝王でも何でもいいと思わせてしまうことに、観客は内省も伴わなければならない。それが、あらゆる権力者の暴力装置となっているのだ。

そして、さらにこの映画に象徴的に使用されるマーラー5番。劇中でも、アダージェットを指してターに「ヴィスコンティを意識しなくていい」(字幕では翻訳されてない)というようにセリフで言わせている。ヴィスコンティはこの「ヴェニスに死す」で、美少年ビョルン・アンドルセンを徹底的に搾取した(「世界で一番美しい少年」参照)映画芸術の名のもと徹底したパワハラ帝王だったと知られ、ヴィスコンティの刻印がこの曲には映画人にとって明確に押されているも同然。これをあえて使うことにまたキャンセル・カルチャーについての隠喩があると鑑賞者は感じても良いはずだ。

しかし、何度も見れば見るほど、リディアが若い子に、古いレストランできゅうりサラダを勧めたり、こんなとこじゃなくて、もっとイケてるとこいく?とかいうシーンは、若い女の子にデレデレしてるキモイオッサンそのもの。それをちゃんとケイト・ブランシェットは演じてるわけ。彼女はウディ・アレンの作品に出てオスカーをとってしまっているわ、ワインスタインの作品に多く出ているし、セクハラがあったと言ってるわけで、彼女が進んでリディアをやらなければならない理由がそこにもある。

他の映画を見るより今スクリーンで上映されているうちにできるだけ見なければならない。身も心も奪われる映画だ。何度見ても発見があり、その演技に酔い、映画の作りに感嘆する。