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TAR/ターのYMのネタバレレビュー・内容・結末

TAR/ター(2022年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

ものすごい映画がここにある。考えれば考えるほど渦にハマって、もういちど劇場で観たくなる、そんな作品だ。ノーランの『インセンプション』よろしく、多分映画好きにとっては「あれはHappy EndかBad Endか?」でずっと話せるような、あたらしい映画になることも思う。
Vergessen Sie Visconti?Aber Lydia, du weißt es doch.
バーンスタインの弟子、民族音楽のフィールドワーカー、女性初のベルリンフィルのシェフ、リディア・ター。彼女が挑むのはチクルスの最後の一曲、マーラーの『交響曲第五番』だ。折しもチェロ奏者に欠員が出たためにおこなったオーディションで、リディアはロシア出身の天才チェリスト、オルガに出逢う。その天真爛漫さと天衣無縫のチェロ技術に圧倒されるリディアは、マラ5のカップリングにエルガーのチェロコンチェルトを選び、ソリストをトップ奏者ではなく団内公募で選ぶと言い出して……。

クラシック好きあるいは一度でもオーケストラにいたことがあるのならば、より楽しめるはずだ。それほど、ケイト・ブランシェットのリハシーンは真に迫っていた。断片ながら「指揮:ケイト・ブランシェット」に驚いたマーラー5番の美しさよ!そして、楽団員とリディアとの綱渡ともいえる微妙な緊張感のある関係性もまたいい。オーケストラにいたことのある私としては、ほんとうにリアルに感じる。ソリストをトップではなくオーディションから選ぶとリディアがいったときの、あのオケメンバーの感情表現は、まさしくリアルだ。繰り返しになるが、オーケストラに一度でも身を置いたことがある人であれば、わかるだろう。あのとき、団員は「指揮者のお気に入り・オルガを選びたいがためにこんなことを言い出したんだろう」と、一斉にしらけたのだ。あの瞬間に、カラヤンの「ザビーネ・マイヤー事件」よろしく、不協和音は現実のものとなり、リディアへの粛清劇がはじまる。リディア・ターは『鎌倉殿の13人』における北条時政であり、実朝でもある。さしずニーナ・ホス演じるコンサートマスターが義時というべきか。しかし、落ち着いて考えてみると、はたして、オルガはリディアの「お気に入り」だったのだろうか? たしかに、リディアはオルガにセクシャルな意味でも惹かれていたのはたしかだろう。リディアはクリスタやフランチェスカの例にもあるとおりグルーミングの常習犯だったから、と指摘する人もいる。だがことオルガとの関係性のみに焦点を絞れば、リディアは、オルガ(演じているのはソフィー・カウアーという実際のチェリストだというのがいちばん驚いたけれど)のエルガーの演奏の動画に見入り、曲の起用を決めた。オーディションでも、トップ裏の二番手との対決を、オルガは全会一致で制している。これははたして、「リディアのお気に入りの演奏だからこっちに入れておこう」としたオケ団員の意思だっただろうか?
わたしには、そうは思えない。オルガには才があった。オルガ自身も、それを理解している。だが、ホスをはじめとした団員の集合的無意識=「なんかムカつくよね、リディアのお気に入りだし!」に(観客も)引き摺られ、いつのまにか、それが事実となったのだ。これは、本作が仕込んだ叙述トリックの、ほんの一例である。これだけではないと思う。もういちど観れば、印象らまた変わるはずだ。本作はSNS時代の「いま」を生きるわれわれが真と思うテーゼを否定しにかかる問題作である。

だが、ひとつだけ申し添えるならば、ラストの場面を巡り「アジア蔑視」といって切って捨てるのは勿体無いとおもう。なんとなれば、仮令ラストにあきらかになるのが「ああいうコンサート」であったとて、流れ着いた少年オーケストラのまえで「作曲家の意図、目的を考えてみましょう」といい、露面店でスコアを広げるリディアの姿は、これまでとなんらかわっていないどころか、むしろより真摯だともいえる。これを、単純な「転落劇」と評すことは、できるだろうか。
『鎌倉殿』で三谷が描いた義時と時政の最期を見比べてみよう。義時は、権力の絶頂が翳ったとき死んだ。時政は? リディアも、おなじである。
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