イヌケソ

TAR/ターのイヌケソのレビュー・感想・評価

TAR/ター(2022年製作の映画)
4.5
2回目。Youtubeで解説動画などを観つつ、バッチリ予習をした上で観に行ったのだけれど、新しい気づきはそれほど多くはなかった。
むしろ、自分はやはりTARのことが好きだという確信に至った。

冒頭のインタビュー前。TARは非常に緊張している。ナーバス。大物で尊大な人間とは言えない、むしろ弱さが見える。
そんな部分を映画ははっきりと映していた。

音楽学校での生徒とのやりとり。現代音楽が好みであっても、ちゃんとクラッシック音楽から学ぶべき、というのは真っ当な考えだ。
いや、むしろ頭からダメ出しするわけではなく、生徒と一緒に答えを出そうとしていたように思える。

若くて魅力的なチェロ奏者、オルガとのファーストコンタクトはトイレだったが、最初から彼女にときめいていたことがわかる。
(ひらめき、センスの人にありがちな一目惚れってやつ)
この映画はトイレのシーンがいくつかあり、それは何か意味があるのかもしれない。

TARはジャズを聴くし、自分で鼻歌を歌ったりする。ガチガチのクラッシックな人ではない。
幼少の頃過ごした部屋にはアコーディオンがあり、そこからスタートしたことがわかる。

無調の連続音(冷蔵庫のラジエーター音)、玄関チャイム、一定のリズムが気になるというはよくわかる。
絶対音感や音楽の才能がある人ならなおさら気に障るものなのだろう。

夜中にメトロノームが鳴り出したり、ランニングしてたら女の叫び声が聴こえたりするのも
オカルト現象っぽいが、一方でそんなことが日常的にあってもおかしくない。

ただ、近所にキチガイみたいな人がいるのは怖い。
一方で知的障害を持つ人が周りにいることは普通にあるし、差別するのは良くない。
(TARは全身を洗うぐらい生理的に無理だった様子)←だがこれも思想ではなく、生理的に、なのだ。

・クリスタにしたことについて
性的に何かしたか?それははっきりしていない。
ただ親密になり、クリスタがストーカー化していったように見えた。
だから、「指揮者にふさわしくない」といって各所にメールを送った、
TARのしたことはあながち間違っていないんじゃないか?と思った。

・SNSでの拡散、悪意ある動画編集について
これも昨今では当たり前だが、悪意ある動画編集によって真実が歪められてしまう。
SNSでの拡散、動画の効果は絶大だ。
そのことをTARはわかっていなかったし、なめていた。
だから授業の時、SNS世代の若者を揶揄するようなことを言ったのだ。

・演奏会でのTARの行動について
ファンファーレのラッパの横に立つTAR。
この時点で私はTARに思いっきり肩入れしており、「よっしゃ、いったれー!」という気持ちだった。
だから,TARが殴り込みをかけて代理の指揮者をボッコボコにしたことに心の中で拍手喝采を送った。

・昔の自分の部屋でみるビデオ
町山さんの解説によると、TARが見てたのはレナードバーンスタインの音楽番組とのこと。
その中でバーンスタインは音楽の持つ力について感動的なスピーチをする。
TARはそれをみながらこの映画で唯一涙をみせる。
私もバーンスタインさんの言葉が響き、TARと一緒に泣きました。

・ラストシーンについて
バーンスタインの言葉でTARは完全に目覚めた。
音楽に貴賎なし。
頂点から落ちたけれど、音楽によって人に感動を与える、自分を表現するという原点は変わらないのだ。

TARは冒頭のシーンと同じく緊張している(どんな舞台でも変わらない)。
だが、以前とは違い、薬の力は借りない。
モンハン生演奏のナレーションが、これから新しい世界へ旅立つぞ!と鼓舞する。
そう、これからがTARの新しい旅の始まりなのだ。

このシーンで、私は本当に音楽の力で何度でも立ち上がれる!素晴らしい!と救われる気持ちになりました。


・追記 マッサージ屋のシーン

時差ボケで体調が悪いTARがマッサージ屋に行くシーン。
それは普通のマッサージではなく、性風俗の店だった。

ずらりと並んだ女性を品定めするシステムに
かつての自分がやっていたことを重ね、そのおぞましさに嘔吐する。
(何も吐く事はないじゃないか、、、と思うが、センシティブなTARならではの反応なのだろう)

自分も芸能人の誰々が可愛いとか性的な目線で評価している。
それが悪いことか、そうでないか、、、なかなか難しい。
でも、実際搾取されているとしたら?
昨今のセクハラ問題と無関係ではないと思う。

・ケイト・ブランシェット
改めてすごいとかいうのもヤボだが、すごい。
TARという架空の人物そのものなんだもの。
それを見越してキャスティングした監督もすごいし、色々と奇跡的な映画じゃないか、と思う。

・由宇子の天秤との共通点
「由宇子の天秤」という日本の映画との共通点がありました。
劇伴(BGM)が全くなく、シーンによっては無音という点。
そして、善か悪か、どちらか見方によって変わるという点。

・その他小ネタ。
 ・「Bunkamura」「抹茶」「モンスターハンター」など、日本に関係するものがいくつかあった。
 ・「内陸の川なのにワニがいるの?」「地獄の黙示録の置き土産さ」
   さらっと言っているシーンだが、昔の映画が残した負の遺産のことであり、結構重たい問題。
 ・人によってTARのことを「マエストロ」「マエストラ」と呼び方が変わっている気がした。
 ・グスタボ・ディダメルが写真だけでちょい出演。



(1回目)
天才の所業を観察するみたいな映画。
そして”性暴力”についてどう考えるか、試される映画だった。

私は、TARが悪い人間だとは思えなかった。
少なくともTARはレイシスト(人種差別主義者)ではない。
音楽には人種も国境も関係ないということを地でいってる。

天才がゆえに人として間違っている部分はあると思う。
だが、実際に人が死んでいるし、それに対してTARが行ったことは保身でしかない。
でも、やっぱり、最高の演奏を指揮する姿が観たかった!

しかし、才能があればなんでも許されるわけではない。
歌舞伎役者、芸能事務所社長、映画監督、有名作曲家、、、
才能の数だけ性暴力があると言ってもいいかもしれない。
(それらについては反省を持って考えていかなくてはならないと思っています)

当然、断罪され社会的に抹殺されるわけだが
この映画はそれだけで終わらないのだ。

頂点に比べたら遥かに底辺だけれど
それでもどっこい音楽とともに生きている、というオチに
私は希望のようなものを感じました。
イヌケソ

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