めしいらず

TAR/ターのめしいらずのレビュー・感想・評価

TAR/ター(2022年製作の映画)
4.0
芸術家は高い精神性を備えた崇高な人物なりなどという偏った見方がまかり通っているように思うけれど、実はその真逆ではないだろうか。アートが自己表現活動である以上、己の欲求に誰よりも忠実であり、どんな自分でも表現においては隠し事できない人物こそが真に芸術家たり得るのだと思う。アート作品は芸術家の人間性の反映だから、阿呆には阿呆なりの、クズにはクズなりの、お人好しにはお人好しなりの、つまりあらゆる人の個性の数だけ別の形があり得るのが必然である。嘘偽りない真実の人間性が映っているから崇高のであり、芸術より前に崇高さがある訳じゃないのだ。だからこの主人公ターなどはまさに最も芸術家らしい芸術家と言うべきだろう。常に自分の欲望にだけ正直で他人を踏みにじっておいて歯牙にも掛けない彼女の生き様、その最低な人間性、その素行の悪さは、観ていて却って清々しささえ覚えてしまうほどである。彼女は意見の違う学生を公衆の面前でぐうの音が出ないほどに完全論破して吊し上げ、幼い娘をいじめるクラスメイトを脅し上げ、セックス目当てで新人オーディションの結果を捻じ曲げ、以前の恋人の悪い噂を流布させて業界から締め出し自殺にまで追いやってしまうのだ。見てくれの如何にも”芸術家でござい”な佇まいは、あくまでも受け取り手の都合を察した後付けのポーズだろう。そしてタクトを振れば当代最高とまで評価される。だが彼女の人間性と彼女の芸術は矛盾していない。ターの音楽が受け入れられているのは、ターだけが奏でられる音楽に聴衆の中にも共鳴する部分があるからである。どんな人の中にも清と濁があるのだ。とかく善人性だけが求められる昨今の世情を、芸術家ほど息苦しく感じている人種はないに違いない。もし世界中に善人だけしかいないなら、そもそも芸術が生まれるはずもない。自己と他者との相剋の中で生じる葛藤がアートを生む源泉である。この主人公を演じてケイト・ブランシェット以上の役者は他に想像できないと思うほどのハマり役だった。彼女だからラストシーンの転落した後のターの逞しい現在に説得力がある。必ずターは復権すると信じさせられる。
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