【目的】
アメリカもそうだが、イギリスも格安に旅行しようと思うんだったら、バスは非常に便利だ。
(以下ネタバレ)
映画の中に、ひとりの若者がイスラム教徒の女性に絡む場面があるのだが、それに対して、皆んな目的を持っているのだと諭そうとする場面にハッとさせられる。
確かに流されるように生きている人もいるのかもしれないが、人はどこかに目的や目標を見出そうとするものだ。
周囲の人のサポートも、本来、人とはこうしたものだと思わせられるし、杓子定規なドライバーをヒトラー呼ばわりする女性の意気込みにもなかなか笑えるし、ウクライナ人の親切は甘んじて受けるべきだみたいなところも、今のウクライナ情勢下、民族ってなんだろうかと考えさせられもする。
ジェンダーや、人種、民族、移民、出自、稼ぎ、そして、年齢も差別の対象になる時代、この映画を観て感じるところが多い人もいるんじゃないかと思う。
ただ、前にも、なんかのレビューで書いたが、サミュエル・ウルマンの”青春の詩(Youth)”という詩を思い出した。
これが高齢者に向けた全てじゃないとも思うけど、また、性懲りも無く、したためたいと思います。
以下、その詩。
青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。
若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。
人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。
歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。
悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。
六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。
人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。
自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、その人は若いのだ。
感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、人間は真に老いるのである。
そのような人は神のあわれみを乞うしかない。