このレビューはネタバレを含みます
「幽霊電車」という怪談をご存知だろうか。
かつて東京都で運行していた玉川電車にまつわる話で、乗客とともに車両が忽然と消えてしまうというものである。
かの有名な妖怪奇譚「ゲゲゲの鬼太郎」では、「幽霊電車」を基にした幾通りもの物語がある。
近年映像化された話は、あるサラリーマンについてのものだった。
そのサラリーマンは会社の社長で、部下と屋台で飲んだくれていた。
社長はかなり横暴な人間で、「妖怪や幽霊を信じる人間なんて馬鹿な証拠」と断言する。
その近くを通りかかった鬼太郎が「目に見えなくてもいるものはいる」と主張すると、鬼太郎を蹴り飛ばすなどかなりの暴れっぷり。
その後、飲んだくれていた部下と一緒に電車に乗っていると、そこにはいるはずのないかつての部下が現れた。
その男の体はぐっしょりと濡れており、ゆっくりと社長に近づいてくる。
さらに首にロープの跡がある者や、体が不自然に捻じ曲がった者などが次々と現れる。
驚いて一緒に乗っていた部下の方を見ると、彼の頭はパックリと割れ、身体の骨は砕けていた。
「まさか…あの時あそこで死んでいたのは…」
「社長、やっと…思い出してくれましたかぁぁ…!!!」
そこに現れていたのは社長のパワハラによって自殺した12人の部下たちだった。
恐怖で逃げ惑う社長はなんとか脱出しようと窓から飛び出すが、なぜか電車の中に引き戻されてしまう。
必死の思いで車掌に詰め寄る社長。
「これは一体何なんだ!?」
「この電車からは出られませんよ。これは、地獄行きの電車です。」
実はこの車掌、鬼太郎だったのだ。
「地獄!?」
「あなたは生きていた頃に多くの人を苦しめ死に追いやった報いを受けるんです。」
「何!?俺は生きてるだろうが!?」
しかし窓ガラスに映るその男の顔は骸骨と化していた。
「あなたは1週間前に死んでいます。酔っ払って電車にはねられて。
あなたは幽霊として迷い出て何かと理由をつけてあの世に行くことができなかった。
あなたを恨む人たちが痺れを切らして迎えにきたんです。」
「骨壷〜。骨壷〜。
次の停車駅は、地獄〜。」
「いやだ、俺は地獄なんかに行きたくない!助けてくれ!」
「あなたはそう言った人たちを助けましたか?」
「頼む!お前それでも人間か!?」
「…僕は人間じゃありませんよ。」
恐らく今作「きさらぎ駅」にも、この「幽霊電車」に通底するものがあるだろう。
葉山純子(佐藤江梨子)の目的とは一体何だったのか。
物語の終着駅にて葉山自身の口から語られたことから察するに、それは自らがきさらぎ駅に迷い込んでしまった時に自分を助けてくれた女子高生、宮崎明日香(本田望結)をきさらぎ駅から脱出させることだろう。
探偵を雇ってまできさらぎ駅に興味を持ちそうな人間を探し当て、女子高生を救い出そうとするなど「あの時助けていただいた者ですが…」の恩返し以上のものを感じるが、受けた恩は何としてでも返そうとするあたり、まるでおとぎ話のようで興味深い。
普通に考えれば、ラストで葉山が壁にびっしりと貼ったきさらぎ駅関連の新聞記事を剥がす様子から、目的は達成されたと考えるべき。
ただ、さらに怪談的要素を追加した考察をした方が面白いので、体良くいささかの事実を無視しつつ、こじつけも交えながらこうだったら良いのに、という個人的深読みをしてみようかと思う。
まず、きさらぎ駅とは地獄だと考えられる。
前述した幽霊電車のようにあの世とこの世を結ぶ死の路線であり、現世の人々が迷い込んでしまう異世界なのだ。
結論から言えば、葉山純子はこの世の人間ではなく、地獄に誤って迷い込んでしまった善なる魂を救済し、代わりにすべからく地獄に行くべき罪人を送り込む役割を果たしているのではないだろうか?
というのも、何やらいわくのありそうな人間が集まる中で、女子高生の宮崎明日香のみがあまりにも清廉潔白であり、穢れなき心を持っているからである。
「自分に恥じる行為をするな」という母親の教えを忠実に守り続け、完全なお荷物のワンカップおじを見捨てずに助け、誰かが怪我をした時にはカバンから純白のハンカチを取り出し差し出すなど、明らかに純真さが強調されている。
一方、作中できさらぎ駅の世界に登場した宮崎明日香以外の人物たちは、何かしらの罪を犯していることだろう。
葉山に嘘の情報を教えられ、宮崎明日香の代わりにきさらぎ駅に囚われることになってしまった女子大生の堤春奈(恒松祐里)は、表面的には人の良さそうな人間に見えるが、途中で出会った運転手を容赦なく石で殴り殺し車を奪う。
きさらぎ駅が異世界だということは認識しているだろうが、常人がこのように何の躊躇もなく殺人を行えるだろうか?
推測するに、堤春奈は恐らく以前にも人を殺した経験があるのだろう。
十悪罪のうちの殺生を犯しているのではないかと考えられる。
そうではないにせよ、少なくとも「アレだから」という曖昧な言い訳で自分の悪行を追及されることから逃れてきた過去はあるはず。
こういった人畜無害な顔をした咎人こそ何より恐ろしい。
チンピラの岸翔太(木原瑠生)は、折りたたみナイフを携帯していることから、現世で2、3人殺していることは火を見るよりも明らかであり、詳しく書く価値もないだろう。はいはい、殺生殺生。
一見無害そうに見える男、オレンジパーカーの飯田大輔(寺坂頼我)は岸翔太に「指図してんのか?」と詰め寄られた時に、自己防衛として「いや、指図とかじゃなくて…!」と、咄嗟に嘘をついていた。
己が臆病さゆえに普段から自己防衛のための嘘を吐いていたことだろう。
これは十悪罪のうちの妄語(嘘をつくこと)に抵触する。
チンピラの連れである松井美紀(莉子)は恐らく邪婬(浮気で情事を行うこと)の罪を犯しているはず。
態度などからして、松井はチンピラと交際していると考えられるが、チンピラが死亡した後、「私大輔がいないと無理!」と発言するなど急な鞍替えを行なっていた。
極限状態で知り合いにすがりたくなる気持ちも分からなくないが、ジャイアンにのび太が詰められている際に助ける様子もなかったにも関わらずこの態度の急変ぶり。
服装の雰囲気も手伝って、誰に対しても簡単に股を開きそうな印象は否めない。
ワンカップおじこと花村貴史(芹澤興人)は、うだつの上がらない酔っ払いで常に酒を飲んでいる。
仏教的には五悪の中に飲酒(おんじゅ)があり、酒を飲んではならないとされているので、当然のごとく罪人。
そもそも映画の出だしから立ち小便をすることを若い娘に仄めかし、大事な局面で嘔吐し足手纏いになるなどとりあえず迷惑な人間なのできさらぎ駅行きは当然か。
線路付近で登場した杖をつく謎の老人は、自らが線路の上にいるにも関わらず、「危ないから線路の上歩いちゃダメだよ〜」とひたすら警告していた。
恐らく現世でも自分のことを棚に上げて他人に指図していたことだろう。
これは、十悪罪の邪見(因果の道理を無視する誤った考え方)に抵触するものであり、棚上げクソジジイは当然の如く地獄行き。
そして一見親切そうに見えた運転手。
ただこの男、怪しさは満点で、送っていくという名目で車に乗せ、人がいない森の奥に連れ込んで強姦しそうな雰囲気を漂わせている。
これは犯持戒人(童女や尼僧など清く聖なる者を犯すこと)にあたり、現世でもそのような手口で罪を犯していたことだろう。
これらの罪人たちは、きさらぎ駅内で死んでしまい、最終的に出現する扉を最初に通過することができずにきさらぎ駅の世界に囚われてしまったのだろう。
きさらぎ駅に新しく人間が迷い込んで来るたびに罪人たちは蘇り、何度でも死を体感するという文字通り地獄の責め苦を受けることになるのだ。
ちょうど典型的に描かれる地獄にて、罪人が鬼たちに四肢を引き裂かれ、業火に焼かれるなどした後、ひんやりとした風が吹いてきて立ちどころに肉体がもとに戻り、再び拷問が繰り返されるといったように。
毎回記憶が消去されるのは幸いなことだが、とはいえそのような絶望のループに巻き込まれてしまうのはご勘弁願いたい。
それゆえ、この世界に善人が迷い込んでしまった場合の調整役として葉山が善人と罪人との入れ替えを行ってきたと解釈できる。
現世に帰ってきた宮崎明日香に対していきなり観客向けの丁寧なネタバレを行なったり、人ならざる存在にも関わらず探偵に身辺調査を依頼するなど、なかなかにツッコミどころの多いキャラクターではあるが、人によって鬼とも菩薩とも捉えられる葉山の役割は面白い。
エンドクレジットの後で葉山の姪がきさらぎ駅に迷い込んでいたが、果たして無事に帰って来れるのか。
それとも再び葉山が救出のために誰かを騙して送り込むのだろうか…?
と、このように曲解ありのかなりの暴論を繰り広げてきたわけだがこの文章自体、十悪罪の綺語(真実にそむいて、巧みに飾ったことば、虚飾のあることば)にあたるだろう。
今後はなるべく、電車に乗るのは控えるべきかもしれない。