Jun潤

マイ・ブロークン・マリコのJun潤のレビュー・感想・評価

マイ・ブロークン・マリコ(2022年製作の映画)
3.8
2022.10.10

永野芽郁主演作品。
清純派で通してきた(と思っていた)永野芽郁が遂にイカれ演技に挑戦。
個人的には昨年の日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を『そして、バトンは渡された』で受賞すると思っていたので、その分今年は思う存分に可能性を広げて欲しいところ。
予告時点での期待ポイントは大股開いてタバコ吸う永野芽郁ですね。

ブラック企業で働くOLのシイノは、ある日ダチのマリコが死んだことを知る。
過去に想いを馳せ、死に際に何もできなかった自分が、今からマリコのためにできることは何か考えた時、マリコを苦しめ続けていた両親の手から遺骨を奪い去ることだった。
遺骨を強奪したシイノは、生前のマリコが行きたいと言っていた岬まで、彼女の遺骨と共に旅立つこととなる。

これぞ永野芽郁の新境地!
欲を言えばもう少し表情やセリフの高低までブラックさを突き詰めて欲しかったところですが、期待通りこれまでの清純派なイメージを、怒声絶叫憎まれ口、常にタバコをふかし、牛丼2人前を平らげ酒を飲みまくり電車に乗るやいなや貰った駅弁を目の前で食べるなどして、ぶち壊していたので及第点でしょうか。

85分の短尺ということで、登場人物を最小限にしたロードムービーの様相。
一人もしくは二人以上が定番のところを、一人と一つの遺骨という、側から見ればなんとも奇妙な旅路。
それを彩るのは、マリコという壊れてしまった、あるいは既に壊れてしまっていた女性とシイノの、共依存にも見える友情。

今作で特に描かれていたのは、“依存”と“救い”だったかなと思います。
“依存”については上述の通り、シイノとマリコの関係はまさに共依存そのもので、関係性もただ依存し合っているというものではなく、シイノにとってはマリコしかいない、マリコにとっては最後にはシイノがいてくれるという、どうにも互いに独りよがりな、歪んだ関係性が描かれていました。

“救い”については壊れっぱなしのマリコにとっても、大切な友人を喪ってしまったシイノにとっても必要なもので、互いに依存し合っていたから、相手に対して助けを乞うことも救いの手を伸ばすこともできずにいたんじゃないかなと、観ていて感じました。

『アイ・アム まきもと』『LOVE LIFE』ときてまたも大切な人を亡くすことから始まり、その死に向き合いどう受け入れるかを説く物語。
そんな作品が作られ続けることからもわかる通り答えなどなく、それが今作では、生前どんな人間であっても、その人に関わった人間が自分しかいなくても、居なくなってしまった=壊れてしまったことを、自分の中にできた“空白”として、それをそのまま受け入れて、自分の中で愛し続けることしかないんだと言ってくれた気がします。

タイトルの直訳「壊れてしまった私のマリコ」というのは、死んだことを「壊れてしまった」と表現しているというよりも、生前から「マリコは壊れてしまっていた」と表現する方がマッチしているような気がします。
シイノにとっては、死んでしまって思い出が薄れて、綺麗なマリコしか思い出せなくなることよりも、「壊れてしまっていた自分だけのマリコ」に、まさしく“依存”し続けていたのだと思います。
そしてブラック企業に勤め、ひったくりにも遭ったマリコを“救って”くれたのは、無償の愛を与えたマキオの存在と、皮肉にも忘れることでどんどん綺麗になっていったマリコの存在だったのかなと思います。
Jun潤

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