このレビューはネタバレを含みます
今はなき「シアターN渋谷」。
ユーロスペースの居抜きとなったこの場末の映画館で上映されるC級映画を観るのは、朽ち果てたお化け屋敷に嬉々と入る自己評価の低い子供の気分を味わえる貴重な体験だったわ。
最初はさすがに積極的に観たい映画がなかなかなかったけど、(アタシの記憶が正しければ)この映画の少し前に観たブノワ・マジメルが素っ裸で変な日本語喋らせれながらいたぶられる映画「陰獣」に興奮したの。
映画の質は低くても、「自分が楽しければそれでいい」とヘンに納得して、いけないクスリに依存するかのように立て続けにこの映画館にすがりついていったわ。
その中でも、ここに依存することを決定的にしたのがこの映画。
予告をチラッと観ただけで、まともな神経持ってる人なら、まず避けて通ると思ったわ。耳をつんざく工事現場で女達を切り刻むような映画だった。観に行く人は全員精神が病んでるんじゃないかって思うくらいイカれてた。
気がつけば、血塗れドバーって顔も正視できないように見えたポスターが目の前に掛かってるロビーで、上映を何食わぬ顔して待っている。
「この映画観て、狂った観客に刺されても、心臓発作起こしても、アタシ、それでいい」
映画は、予告編の想像と期待を遥かに上回る出来だったわ。
ちょっとリッチな屋敷で働いてる女の子が、視界も聴覚も、全ての自由を24時間奪われてる。肉体的な虐待はほとんどないんだけど、顔や口、体の周りにはゴキブリが這いずり回り、唯一の救いは死ぬことと思ってしまう環境に置かれ続ける。
ちょっとの隙を見つけて、彼女は躊躇うことなく、自分の頭を銃で撃ち抜く。その安堵感がたまらない。
この仕組みを作り上げたのは、都市伝説でしかお目にかかれない、精神の限界を試すことに純粋な好奇心を持つ金持ちたちの組織。しかも首謀者は見た目にはちょっと上品なあまり目立たないおばさんだ。
金、権力、社会的な評判、平和な家庭と、ある程度のものを手に入れた人たちが、一番恐れるのは「退屈」。
人は一人ひとりみんな違う。だから、結果が人によって変わるのも楽しいし、いかにして人の精神を破壊して操り、人間の限界を人に試すのかが、ますます過激になっていく。
最初の子が自殺するまでの3分の1くらい観たところまでは、この映画の加害者側の気持ちまで推し量る余裕があったわ。
この子が失踪して、心配して、屋敷に足を踏み入れた女の子がされる、肉体的にも過激な虐待と、彼女がこれ以上ない虐待の中で達した純粋な哲学に、アタシは荘厳な美しささえ感じたわ。
人は「ホラー」とか簡単にジャンル分けしてしまいがちだけど、それは映画を軽々しく見下し、本質を捉える力を無くしてしまう愚かなこと。
この哲学があるかないかで、同じジャンルの映画でも、全く違う代物なのだと改めて実感したわ。