阿房門王仁太郎

(ハル)の阿房門王仁太郎のレビュー・感想・評価

(ハル)(1996年製作の映画)
4.0
 (ハル)と(ほし)達のメールでのやり取りが生活と嘘も含む形で密接に現実での生活に密着―というか、それを元にしている―事を常に意識する作品で、そこには匿名のネットだからこそ身勝手さやナイーブさが露わになる。然し、そのような隠しておいた心情こそ雑踏や波の音、電車の光より強固に残り続ける物でありそのような強固にこびり付いてしまった相手の心情が互いを結び付ける淡く上品なロマンス。それが思い上がって現実を軽んじる訳でもなく卑屈になり現実に凭れかかる訳でもなく丁寧に変遷する関係や風景を描きながらその現実の生活がメールにより「細やかに」ある方向に動き、本名(現実)とコテハン(架空)が合致する。人間の想像力で生まれた者が現実的で幸福な合一を果たす展開は見事としか言いようがない。
 確か、(ほし)が想像力と恋愛の関係について語って想像力が回答を得られず際限なく増大し続けるする事に恐怖していたが、メールでのやり取り自体が多かれ少なかれそのような物で、そして(ハル)の喪失感はその巨大な想像力で癒された(彼の生活はそれに合わせ堅実に前を向いている)。そしてその(ハル)の実在が、(ほし)の想像力への恐怖と耽溺を宥め現実との妥協を見出させる。その相補的な関係に対する希望は確かにネットの福音であり、遠隔地の他者とのコミュニケーションの端緒としてコミュニケーションの問題は最早パソ通の時代ではなくなっても普遍的で、そこに監督の明敏な神経とは別に備えた誠実な観察眼を見る。
 現実の関係の描写も現実的で丁寧且つナイーブで、メールでのやり取りを神聖にする様な嫌味が無くて、そこに「現実に立脚した関り(その為にメール通信の様な関係の必要性を痛感している)」への信頼が見られる。そこは、アイコンを持ち何も変化しないし裏(プライベート)も無いキャラクターとしての役割を演じる事が当たり前になってる様な今のSNSに対するカウンターにもなっているのではないかと思わずにはいられない。これもひとえに人間描写の強さからの印象だ
阿房門王仁太郎

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