The Bandもそうだが米国サウスのロックには日本のプロモーターは興味がなかったようで、私は日本でThe Bandとオールマンのコンサートに行ったことがなかった。
下記の1969年から73年あたりまでで、The Band と同様に、この頃のサウスのロックに痺れていた。しかし、ネットの時代ではなかったのでこのドキュメンタリーのような情報がなかった。 1969年 オールマン・ブラザーズ・バンド - The Allman Brothers Band (Capricorn) 1970年 アイドルワイルド・サウス - Idlewild South (Capricorn) 1971年 フィルモア・イースト・ライヴ - At Fillmore East (Capricorn) 1972年 イート・ア・ピーチ - Eat A Peach (Capricorn) 1973年 ブラザーズ&シスターズ - Brothers And Sisters (Capricorn)
The HourGlass ロスに行ったが、当時のロスはフランクザッパやドアーズやグレイトフル・デッドなどの時代で、リバティレコードと契約したが、南部のロックバンドは理解されなかった。レコード会社はブラックのブルースベースやモータウンのリズムをを期待していた。デッドやジェファーソソン・エアプレインなどの前座をしていた。ハリウッドでのデビュー曲は 『Out Of The Night』だが、デュアンはデイトナに戻ってしまった。デュアンは自分中心な人で、自分のやり方でやる。それがベストだったと。 The HourGlass https://www.youtube.com/watch?v=OpTquoCGsrc. Out Of The Night
デュアンは タジ・マハールのバンドのジェシー・デイビス(Taj Mahal with Jesse Ed Davis)のスライド・ギターに惚れ込んだ。ジェシーの影響を受けているねえ。(ジェシーのインタビューhttps://www.youtube.com/watch?v=tHyC9qldYb4)
The Hourglass https://www.youtube.com/watch?v=s-vfxwOsRck&t=103s Power Of Love 1968年、成功しなかった。 https://www.youtube.com/watch?v=g4l5eCgdf20. I Can Stand Alone
Sweet Little Angel (B・B・KING のカバー) https://www.youtube.com/watch?v=LkWVdL3WxOA これも、こりゃダメだと拒否されたらしい。これこそ、オールマンの味が出ているのに。
1970年のデュアンは物はなし、生活なし、ギターを弾くのみだったが、他のミュージシャンはすでに結婚して、生活を持っていたから、デュアンの自発的な発想にはついていけなかったようだ。 デュアンは、セッションミュージシャンだが、スタジオでレコードを作るタイプじゃなかったと。 Duane Allman (With Clarence Carter) The Road Of Love https://www.youtube.com/watch?v=92zb01jIe
King Curtis · Duane Allman The Weight · https://www.youtube.com/watch?v=y8HK0-HAA2g