【今を振り返る】
分断や差別が再び社会問題になっている今だからこそ、もう一度読んだり、観たりしたらどうかと思う作品だ。
島崎藤村の作品としては、「夜明け前」と、この「破壊」は併せて読むと、明治時代に起きた変化、そして、期待していたのに変化しなかったものの狭間で翻弄された人々の様子を知ることが出来ると思う。
また、物語としても人物描写に筋が通っていて理解しやすい。
更に、小説には読みやすい現代語版が現在はあるらしく、僕達のように苦労しないで若い人は読めるのかとちょっと羨ましくもある。
この「破戒」について僕が好きなのは、この時代の定番表現のようにも思うが、丑松と志保が見つめ合うものの、何も言葉には出さず息を押し殺したようなぎこちない場面で、二人の気持ちを静かに凝縮した感じが、とても良いのだ。
石井杏奈さんは、こう云う役ははまり役だと思う。
僕の育った田舎の街は合流扇状地に広がった、もとは宿場町で、被差別部落はなかった。
だが、生まれて幼い頃を過ごした隣町は城下町で、ごく小さいが被差別部落はあった…と。
質問する中学生時代の僕に両親が答えてくれた。
僕の祖母はお寺の娘で、高等女学校の教員をしていたこともあって、差別は絶対ダメという人だった。
そんなこともあって、僕は差別とは縁遠い環境で育ち、部落の問題は、学校で聞く程度だったが、東京で大学生活を送るようになってから、関西の友人から、在日の人を差別する様子をギャグのように話したりするのを聞いて、何がそんなに面白いのかと思ったりしていた。
僕の親友のひとりは大阪出身だけれども、そんな差別的な事を話す奴ではない。
この問題は、住んでる地域で一括りに出来ない人の心の難しさがある半面、ポピュリズムともつながって、衆愚政治化することもあるので、本当に注意を払う必要がある。
僕が大学を卒業してすぐ入社した会社はアメリカ企業の日本法人で、先輩に関西の被差別部落出身の女性がいた。
おそらく、何か事業で両親は成功していて、彼女は高校まではミッション系の差別のない私立学校で過ごし、大学は最難関中の難関校で、企業人としても素晴らしい人だったと記憶している。
先般、安倍晋三氏が銃弾に倒れ、帰らぬ人となった直後から、Twitterには、犯人は在日だとか日本人じゃないとかいった書き込みが多かったように聞いたけれども、その無教養さに驚きを禁じ得ない。
丑松や猪子は、教育の重要性を説くが、現代でも、それは同じだ。
いくら教育しても、ダメな奴はダメということを主張する人もいるが、それは違うと思う。
時間はかかってもトライし続けるのが、僕たちの社会の在り方なのだ。
「破戒」を初めて苦労しながら読んだ時、展開が気になって、途中でなかなか休みを入れられなかったのを覚えている。
そして、破滅的な結末じゃなくて良かったと安堵したことも記憶にある。
映画は、小説とは異なるところがあると思うが、あの雰囲気は伝えていると感じた。
なぜ今、「破戒」なんて思っていたが、今、観て考えて欲しい作品になっていると思う。