えいがドゥロヴァウ

ラスベガスをやっつけろのえいがドゥロヴァウのレビュー・感想・評価

ラスベガスをやっつけろ(1998年製作の映画)
3.6
テリー・ギリアム好きのくせに未鑑賞だった作品
やっと鑑賞

ドラッグ×ラスベガス
ラスベガス自体の浮世離れした空間性と
ドラッグを何重にもキメこんでラリラリになったジョニー・デップやベニチオ・デル・トロの
サイケデリック相乗効果
一流のジャーナリストを自称するもマトモな取材活動なんざロクにせずに無制限のクレジットカードでやりたい放題
その背景にはベトナム戦争というキナ臭くてドス黒い現実があるわけなのですが
そんなクソみたいな時代のせいだと責任を丸投げにしてホテルのスイートルームを汚しまくる彼らの姿に
卑しさとある種の清々しさを同時に覚えるのは
なかなかどうして不思議な味わいでございました
そして厭世観に身を浸してドラッグに見込みのない救いを求めるそのさま自体が
時代を切り取る一人称的なジャーナリズムで
それが原作者ハンターSトンプソンの"ゴンゾージャーナリズム"の本質なのだなと理解
デップ演じる主人公ラウルのモノローグは彼の内なる高潔な精神を表していて
その構造はチャールズ・ブコウスキー原作、ベント・ハーメル監督の『酔いどれ詩人になるまえに』と通じるものを感じました

戦争>ラスベガス>ドラッグ
この作品には上記のような外的要素から内的精神へと至るレイヤーが存在していて
それらが現実と幻覚の名のもとにメタ的に主人公らの意識に混在しています
ヒッチハイカー役のトビー・マグワイアは良識のメタファーなのでしょうか
(サラサラのロン毛にヘラヘラと薄笑いを浮かべる良識ってのもなかなかどうしてウザったい)
一度手放した(逃げられた)良識は「通報される」という強迫観念と結びつき
彼らはそういった対象を積極的に忌避するようになります
人助けのつもりで保護した少女がロリコンの嫌疑という不安要素に転じてしまうように
彼らは些か誇大妄想的ではあるけれど
思いつきの善意が裏目に出て自分らに牙を剥くことを熟知していらっしゃる
そんなこんなで良識を失いストッパーが存在しなくなった彼らの狂騒をひたすら映し出す本作は
相対的に当時の閉塞感を如実に表してもいました
とどのつまりは彼らのラスベガス紀行にはfear(恐れ)とloathing(嫌悪)しか存在しなかった、ということです