高井

さかなのこの高井のネタバレレビュー・内容・結末

さかなのこ(2022年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

感じたことをつらつらと書いているのでとても長い。

沖田修一監督の作品を観ると、人間はあたたかいものだと感じる。人と人は、一瞬しかかかわらなかった関係でも、離れ離れになった後の自分にも相手の何かが少し残っている。その逆もまた。当たり前のことだけど、そうやって人のかたちは形成されていくのだということを感じて、それってとてもすばらしいことだなと自分のこれまでも慈しみたくなる。人生には絶望もあるし人を憎む感情も持っているけど、沖田修一監督が描くあたたかい人間の姿も確かな現実だなと思う。

「さかなのこ」はさかなクンの半生を描いた作品で、さかなクン役(作中ではミー坊という名前)はのんが演じている。さかなクンの半生だけど脚色されていて、幼少期のミー坊の近所に住む魚好きな変な人「ギョギョおじさん」として、さかなクン本人が登場する。ギョギョおじさんはさかなクンという存在にならなかった世界線のさかなクンで、話し方や姿はわたし達が知っているさかなクンのままだった。
ミー坊は魚が大好きで変わり者だけどまわりから愛されてのびのびと育っていて、対するギョギョおじさんは町の噂の変わり者として描かれている。でも悪人ではない。ギョギョおじさんだって大好きな魚と暮らして楽しそうにしている。ギョギョおじさんの孤独のさみしい面は描かれず、魚好きのミー坊との出会いでギョギョおじさんの時間もキラキラとしたものになる。そんな瞬間も描かれていた。
ギョギョおじさんは悲しい存在じゃないし、さかなクン(いわゆる、何者か)にならなかったとしても魚を好きでい続けることでその人の喜びはあるから、ギョギョおじさんはかわいそう…という話ではない。でもやっぱり人から避けられる存在よりも人が集まってくるほうが楽しい(わたしはそっち派)ので、いい出会いに恵まれたミー坊は幸せで、さかなクンの半生を描いているのにさかなクンがちょっと孤独な姿なのがとても不思議に感じた。自分がどう思ったのかわからないから監督のインタビューなどを読みたい。

小学生の頃のミー坊は年齢の割にはつたない、少し変わった話し方をするんだけど違和感がなくてとても愛らしかった。寺田心くんみたいだったという感想を見たけどそういう演技ともまた違う感じ。寺田心くんは好きです。
ミー坊は出会った人に影響を与えるんだけど、
ミー坊最高!という描かれ方ではなくて(具体的にミー方の在り方をほめる場面もあるけど)、ちゃんと影響を与えられた側の人格も見える気がしてよかった。ミー坊が黄色だとして、周りは白から黄色になるんじゃなくて、赤の人は赤寄りのオレンジになったり、青の人は緑っぽくなるなど。たぶんそんなに色が変わらない人もいる。
ミー坊の高校時代の章では、人気の俳優がそれぞれ個性の強いヤンキー役を演じていておもしろかった。全員かわいくて魅力的に見えた。

二十代になって社会に出たミー坊と幼馴染のヒヨ(柳楽優弥)と、その彼女の島崎遥香が会食するシーンで、大人の姿で「いつかお魚博士になりたい」と言うミー坊を笑う彼女にヒヨが苛立つということがあった。
ヒヨは優しい奴なのと同時に、子供の頃からミー坊が魚が大好きなことやその性格を知っているから「お魚博士になれるといいな」(この言葉すごいよかった)という言葉をかけることができたわけで、島崎遥香の人生のどこかにもミー坊のような存在があって、(あんな人もいたけど面白いいい奴だったな)って思えていたらまた何かが違ったかもしれない…島崎遥香がめちゃくちゃ性格悪いだけだったかもしれないけど…
そのシーンだけ、もっとコミュニケーションとって!島崎遥香の笑いも嘲笑ではないかもしれない!と思った。

景色も水の中の魚の映像もきれいで、のんをはじめとする役者さんの演技も最高で、パスカルズの音楽もよくてとてもよかった。
映画の一場面って誰かから見たら笑えても誰かから見たら悲しかったり、その逆もあると思う。その場面に音楽が加わると、ここは物語の中でこういう色の場面なんだなってわかってすごいと思った(三十五年生きてきて今気づいた)。
それが自分の感覚になさすぎるギャップだと入り込めないんだろうけど、ギョギョおじさんとの遭遇のシーンのコミカルな音楽、ギョギョおじさんみたいな変わった人に遭遇することって恐怖でもあるけどあの音楽みたいにコミカルでもある。

あと、やっぱりのんは演技も素敵だし相変わらず佐賀のイカくらいの透明感があった。かわいいとかじゃなくて(かわいいけど)なんか不思議な存在。ベニスに死すの美少年のさわやかバージョンみたいでもあった。役柄もあいまって、周りの役者さんは撮影時に、自分の現実の中に妖精が現れた…と思ってしまわないだろうかと思いながら観ていた。
高井

高井