垂直落下式サミング

夢の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

(1990年製作の映画)
3.8
最後のほうの黒澤明作品。黒澤監督は、当時いろいろあって映画撮れなくなっちゃってたところに、スピルバーグが金出してパイセンに最後の花道歩かせてあげましょうって尽力してさしあげたら、完成したのが『夢』という珍品だったらしい。
世界のクロサワに景気よく金出してやれない日本映画業界も情けないけど、巨匠の名声を得てしまったことでアーティスト志向に振れすぎた黒澤に落ち度がなかったかと言われれば…、当人たちはもうこの世にいないので悪者探しは野暮ったいけど、もう少しやりやすい環境を作るためにお互い歩み寄れた気がする。何事も頑な過ぎはよくない。
とりとめもない夢のおはなしっすか…。なんつーか、創作活動の熱というものを芸術家の内から沸き上がるパッションのみに頼ってしまうのもチガウなっていうか、メジャーな作品として最大公約数に向けて放つのなら、やりたい放題やるだけじゃなくてわかるものにしないと、巨匠だからって客を置いてけぼりにしすぎるのも如何なものか…。
そんなこんなで、8本からなるオムニバス。僕がいちばん好きなのは、いちばん最初の『狐の嫁入り』でした。青い水玉模様の浴衣を着た男の子が、巨大な木々が何本も並んだ森のなかを歩いていくところを、カメラが横移動して追っていく。水平横移動撮影フェチだから、こういうシーンがあるだけで気持ちよくなっちゃう。
そのあとに、嫁入り行列が近づいてくるところも、あからさまなホラー演出をしてはいないのに、この異様な集団との距離が近くなるほどぞぞぞっと…!
嫁入り行列の異質さをじっくりと見せてから、木陰に隠れて覗いている男の子の背後にカメラが回ることによって、こんな人気のない山道に子供が一人で怪異と遭遇しているという状況が整理される。映画っ!ちゃんと上手いわ。手腕は健在のクロサワ御大!
続く『桃畑』もよかったな。ATGとかの血気盛んな作家たちがやってた乱痴気騒ぎを、ホントに予算かけて上品にアーティスティックに仕上げたらこうなるのか。寺山修司よりもこっちのほうが好きかも。
そのあとの『雪あらし』は、ぶっちゃけチンタラと長くてツマンナイけれど、個人的に雪女は好きな妖怪ランキング上位なので、クロサワ先生も思い入れがあるんだって、ちょっと親しみが増して嬉しかった。恐ろしくて、でも情念があって、そんでエッチくていいよね。
人情怪談噺の『トンネル』も好き。トンネルの闇のなかから死んだ戦友が行軍してやってきて、大声で自分は死んでいないはずなのだと問い詰めてくる。青白い幽霊が語りかけてくる姿を気味悪がりながらも、顔馴染みとの再会を懐かしむように対話をする寺尾聰。やるせないような表情の演技が素晴らしかった。舞台劇のように、トンネルの出口というワンシチュエーションで完結するのもいい。
そのあとの4編は、ぜんぶつまんない。スコセッシがゴッホを演じるとか、いかりや長介とか、ミドコロがないわけじゃないけど、言うほど。原子力批判も、主張が前に出すぎて説教くさくていけない。ふつう夢でまでこんなこと考えてなくない?
あれはそれでこれだと説明するセリフが多くなると、途端につまんなくなる。クロサワ的表現主義とは、語らずともその状況を納得させることだった気がするんだけどな。スットンキョーな夢のハナシだから、整合性なんてあるもんかと、そう言われてしまえばそれまでなんだけど…。
夢というコンセプトに則って、現実に着地するような話よりも、ファンタジーとか怪奇とかに比重のおかれた話のほうがよかった。幻想的な夢のハナシを中心に、そのトーンのまま続けてほしかったな。本作の狐たちは『蜘蛛巣城』のババアと同じく百鬼夜行物怪の類い。クロサワが本腰いれてホラーを撮ったらこうなるのかと。それがわかっただけでも収穫があったといえる。