ナガエ

花様年華 4Kレストア版のナガエのレビュー・感想・評価

花様年華 4Kレストア版(2000年製作の映画)
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さて、ウォン・カーウァイの4Kレストア版5作コンプリートまであと僅か。今回は「花様年華」を観た。あと残すは「2046」を残すのみ。

「恋する惑星」「天使の涙」「ブエノスアイレス」と観てきたので、「ウォン・カーウァイっぽさ」みたいなものはかなり馴染み深いものになってきた。覗き見のようなショット、印象的な音楽、断片が積み重なっていく雰囲気などなど、やはり全体としてはとても好きな感じの映画である。

「花様年華」で特徴的だと感じたのは、「断片」が映像的にも「断片」だったということだ。これまで観た3作では、「ストーリー的な断片」がいくつも積み上がり全体を構成している印象だったが、「花様年華」ではさらに、「映像的な断片」に分解されている。とにかく、それ単体ではなんだか分からない短い映像をこれでもかと繋ぎ、意味ありげな物語を構築しているように感じた。

そういう構成なこともあって、それまでの3作以上に、ストーリーを捉えるのがなかなか難しかった。例えば、映画の初めの方で、「隣人に買ってきてもらった日本製の炊飯器の代金の支払い」に関する描写が出てくる。主人公の1人であるチャウは、頻繁に海外出張に出かける隣人に「炊飯器のお礼」を伝え、代金の支払いについて相談するのだが、「お金はもう、あなたの奥さんからもらった」と言われるのだ。

この場面の意味が分かったのは、大分後になってからだ。その後、「バッグ」と「ネクタイ」の話からある事実が判明する。しかしその事実も、その「バッグ」と「ネクタイ」の場面ですぐに理解できたわけではなく、僕がきちんと理解できたのは、「日本の切手が貼られた封筒」が届く場面でだ。やっとここで、なるほどそういう設定なのか、と理解できた。

その点については、公式HPの内容紹介でも触れられているのでネタバレではないだろう。というわけで、その点に触れながら、内容紹介をしておこうと思う。

舞台は1962年の香港。新聞編集者であるチャウと、商社で秘書として働くチャンは、まったく同じ日に同じアパートの隣同士に引っ越してきた。引っ越しの時間が被ったこともあり、お互いの荷物があっちへ行ったりこっちへ行ったりし、そんなこともあり、チャウとチャンは初日から話をする機会が出来た。
その後2人は、付かず離れずと言った距離感で付き合いを続ける。共に結婚しているが、配偶者は出張だったり夜勤だったりで、ほとんど家にいない。屋台へ向かう階段ですれ違ったり、アパートの中で少し顔を合わせたりするが、その程度の関係だった。
状況が変わったのは、チャウがチャンを呼び出してある相談をしたことがきっかけだった。チャウは、妻にバッグを買ってあげたいのだが、君が持っているバッグはどこに売っているのかと聞くのだ。そして会話の流れで、チャンがチャウのネクタイに話題を移し、それによって、チャウの妻とチャンの夫が不倫をしているに違いないということが明らかになる。共に伴侶に裏切られた者同士。2人の距離は、それまでよりも少し縮まった。
しかし2人は、恐らくだが、「配偶者と同じにはならない」という決意を持っているのだろう。チャウとチャンは、距離こそ縮まるのだが、それ以上の関係にはならない。
もしも違う形で出会っていたら、2人は何の障害もなく恋をしていたのではないか。しかし、あまりに不幸すぎる関わり方であるが故に、彼らは何も始まらないし、終わらない。

ネクタイ・バッグの会話をしている時には、「お互いの伴侶が不倫をしている」という設定には気づかず、だから、「私だけかと思った」「どっちが誘ったにしろ、もう始まってる」みたいなセリフの意味がぜんぜん分かりませんでした。さっき書いた通り、日本の切手が貼られた封筒が届いたことでやっとその事実に気づき、2人がどのような関係性において距離感を探っているのかがやっと理解できたというわけです。

そんなわけで、割としばらくの間、映画の中で何が展開されているのか分かりませんでした。明らかにお互いに惹かれ合っているだろう2人がいて、確かにどちらも結婚しているから躊躇はあるにせよ、どことなく「結婚しているから」というだけではない理由が感じられるのだけど、それが何なのか分からなかった。不思議な2人だなぁと思いながら観てたのだけど、まさか「伴侶が不倫」とは。

特に凄いのは、この映画、不倫している側の状況を一切描かないこと。なんなら、お互いの伴侶は、少し声が聞こえるシーンがあるのみで、姿かたちは不明、観客としては「幽霊」のような存在です。

不倫している側を一切描かず、しかも、恐らくチャウとチャンにしても、お互いの伴侶が不倫している決定的な証拠みたいなものは持っていないのだと思います。だから、まず間違いないにせよ、あくまでも形式としては「チャウとチャンの妄想」という風に描かれています。

そして、チャウ・チャンにしても観客にしても、「実態としての『不倫』が存在するかどうかも定かではない」という状況の中で、「チャウとチャンの関係性」が描かれる、という構成になっているわけです。なんか凄い構成だなと感じました。よくもまあ、そんな構成を成り立たせたものだ、と。

正直、「お互いの伴侶が不倫している」という設定に気づくのに時間が掛かったので、特に前半から中盤に掛けては「よく分からないなぁ」という感想になったのだけど、それを知った上でもう一回観る機会があったら、より細かな部分に気づくかもしれない、と思いました。

あと、たぶん僕に知識がないだけだと思いますが、ラスト付近、カンボジアの実際のニュース映像らしきものが挿入されたり、チャウがアンコールワットと思しきところで佇んでいたりするのは、僕にはよく分からなかったです。まあ、全体としてウォン・カーウァイの映画は、よく分からないから、まあそれはそれでいいんですけど。
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