き

チャイコフスキーの妻のきのレビュー・感想・評価

チャイコフスキーの妻(2022年製作の映画)
-
*男根主義は、あらゆる女性を破滅に追いやった!*

大傑作だった!2022年カンヌ国際映画祭コンペ部門選出作品。稀代の作曲家ピョートル・チャイコフスキーの妻アントーニナの地獄めぐり。表から闇へ、現実から妄想へ、大幅な時間経過など、セレブレンニコフお得意の(大好きな!)長回しのなかで、舞台的な場面転換が頻出し、伝記映画ながらくせっけまんさいで、たいへん楽しい。

1893年のチャイコフスキーの葬儀から始まる。そこにやってきたのがアントーニナであるが、死んだはずのピョートルがのっそり起き上がり、なんであいつがいるんだ?と苦言を呈するところから始まる映画は、“同性愛者”という噂をまことしやかにささやかれながらも“男性”であり、権力を持っていたチャイコフスキーの証言や言葉、チャイコフスキーから見たアントーニナ像が重要視されてきた歴史(チャイコフスキーと周囲の男性たち=権力)を解体しようとすることをオープニングで示してくれているようだった。そこからときは遡り1872年。アントーニナがピョートルに出会い、恋慕を抱き続ける様子、そして結婚を迫り、ピョートルもそれに同意するが結婚式からすでに耐え難い有様で、悲恋と狂気は加速していく。偶像を崇拝するかのごとく、ピョートルを崇拝し、どれだけの仕打ちをされても夫を悪くいうことはできず、盲信に盲信を重ねてく様子に、「アントーニナ、あんなやつのどこがいいんだい?」と問いたくなるけれど、冒頭に記されていたようにこの映画の時代は帝政ロシア時代であり、男性の所有物(誰それの妻や娘)としてでしかアイデンティティを確立できなかった時代なのであって、彼女は生き延びるためにピョートルという神を盲信したのだろうとおもう。愛だとおもっていたものが次第に強迫観念へ変化する。利己的で、狂信的で、ときにこちらが戸惑うほどの純真さをともなったナルシスティックな主人公アントニーナ。中盤からネオペイガニズムのような儀式をはじめてしまう(その代償のように彼女の愛人は血を噴きながら死んでしまうのにはおどろいた!)し、これは彼女にとって「愛」とはなんだったのか?ということを考えさせられる。映画はアントーニナのそのアイデンティティを「ハエ」を画面に頻出させることで示唆していた。アントーニナが「恋文の書き方」なるハウトゥー本を片手にはじめてピョートルに恋文を書く自室のシーン、アントーニナの部屋でピョートルと対面する自室のシーン、写真スタジオ、そしてハエのように邪悪な考えが離れないという独白のシーンなど、ピョートルと関係のあるシーンばかりに「ハエ」が登場していた。

〜「ピョートル・チャイコフスキー」の妻でなくなったら、わたしには何が残るんだろう?という「ハエ」のように追い払えない強迫観念は、彼女の精神を蝕んでいく。それにあわせて、表世界から裏世界へ次第に迷い込み、映画も奇妙さが増していく。何十人もの裸の男性たちとのダンスシーンには、男根=男性がもつ権力に翻弄され、追い詰められ、人生を壊された女の孤独と焦燥が充満している。舞台的な場面、絵画のような美しさ、あらゆる種類の画面の選択において完璧だったのではないかとおもう。

カンヌ国際映画祭にて、ベン・ウィショーが文学者エドゥアルド・リモノフを演じた『Limonov - The Ballad』は、『LETO』『チャイコフスキーの妻』に続く伝記映画らしいのでめちゃくちゃに楽しみだ。
き