ペンギン侍

CLOSE/クロースのペンギン侍のネタバレレビュー・内容・結末

CLOSE/クロース(2022年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

花農家の、わっと広がるカラフルな花畑の描写やフランス映画らしいクローズアップの構図などによって「美しい映像だった」という簡素な感想で終わらせられないように。思春期の危うさ、儚さを“痛切な作品”して消費しないようにしたいと願う。

同性同士の親密な関係性、みたいな名前のない状況はもしかしたら誰しもが幼い頃体験したことのあるありふれたものなのかもしれないと思った。性は社会的なもの。男性像や女性像は社会的な概念に基づいてできているのだとすれば、本作みたく突然学校という多数がいる社会に放り込まれたとき、二人の世界は一変する。「オトコオンナ」といわれたり「付き合ってるの?」といきなり言われたりすることでレオはレミと距離を取り、ホモソーシャルな世界へ傾倒していく(レオのセクシャリティは言及されていないことを前提に)サッカーやアイスホッケーなど“男の絆”をもって、レオは自分が“正しく”あろうとし、レミを突き放すことで最悪なことが起きてしまう。誰か介入して止められなかったものか。

是枝裕和の「怪物」では、親をも「怪物」として描かれていたが本作に登場する親は、うまく悲しめないレオにただ寄り添い、思想を押し付けず、ただそばにいる大人として描かれていたように思う。「君の名前で僕を呼んで」の親の寄り添い方に似ていて、何があってもあなたの味方でいるというメッセージに近い。シス男性である兄も静かに寄り添い、レオをベッドで静かに抱きしめる。それはきっとレオの心の傷を治す一助になったはず。

ただ、レミとレオの関係性においては、それでは遅かった。遅すぎた。物語の冒頭から良好な家族として描かれていたからなおさら悔しい。正しく性教育が周知されていればこの悲劇は起きなかったのではないかと思わずにはいられない。レミの死後、より一層ホモソーシャルな世界に身を置き自らを痛めつけ、やっと骨折できたときに涙を流せたレオの本当の後悔を、周りの大人はどう解釈するのか。痛みによる後押しでしか、涙のわけを知ることができなかったレオの後悔を。

この先もずっと後悔は残るし、自死によって親友(息子)を亡くした人生はこれからも続くのだ。
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