原題は直訳で"娼婦が存在しない場所"。ちょうど先日友人との会話で性産業について話し、もう少し自分の意見をまとめたいと思ったので観た。とある女性の死から覗くスウェーデンモデルの裂け目。数人客を取った過去を理由に社会福祉局から制裁を受け、虐待を繰り返す元夫に子供を奪われたことから女性の権利を求める運動家となったマリーは、親権争いの過程で元夫に殺害されてしまう。彼女を殺害し実刑判決を受けた後も元夫は親権剥奪されていないという…「腐っても男、売女よりマシ」という価値基準。
スウェーデンでは買春禁止法に基づき女性の"セックスワーカー"は性犯罪の被害者とされる。「セックスを売ることは恥ずべきこと。自分の意思に反して無理矢理やらされていること。あるいは精神を病んでいるから」と言うのが政府の見解だそう。個人的には搾取や暴力、人身売買などの人権侵害、性産業のプロパガンダによる洗脳、自己責任論が許されないのは前提として、その背景は何も考慮されずに烙印を押す、性の在り方をひとまとめに断罪する政府のパターナリズムには疑問を抱いた。
「女性を"守る"ために女性の性を"守る"のが狙い。だから男性のセックスワークは問題ない。女性性を支配する法律。結局は性差別。この制度を支持する人々がフェミニストを名乗るなんて笑わせてくれる」というアクティビストの台詞、こういう自分にない視点も胸に留めておきたい。それでも法律上は買春側が罰せられる仕組みになっており、日本よりよっぽど先進的と言うのが尚更落ち込んでしまう。窮困した女性が支援窓口に辿り着く前に性産業の求人が目の前にある構造や性別賃金格差を解消するのは必須として、同じ被害が繰り返されない為にどう防ぎ、どう救済するべきなのか、自分には何が出来るのか、引き続き考えたい。