ナガエ

ワタシタチハニンゲンダ!のナガエのレビュー・感想・評価

ワタシタチハニンゲンダ!(2022年製作の映画)
-
以前、『西城秀樹のおかげです』(森奈津子)という短編小説を読んだことがある。内容をちゃんと覚えているわけではないが、設定は未だにハッキリ覚えている。

ある日、地球にやってきた宇宙人が、うっかり地球人をほぼ絶滅させてしまった。唯一残った主人公(女性)に宇宙人が、「手違いで人類を滅亡させてしまった。お詫びに、あなたが望む地球を作ってあげましょう」と提案する。主人公は実は女性が好きで、いわゆる「百合好き」というやつだ。だから彼女は、「女性だけの世界をお願いします」と宇宙人に頼んだ。宇宙人はその願いを聞き入れ、女性だけの地球が誕生し、当然、子孫が生まれないので、その後本当に人類は地球から滅亡した、という話だ。

なんでそんな小説の話を持ち出したのか。それは、「いわゆる『保守層』と呼ばれる人たちは、日本が滅亡することを望んでいるのだろうか?」と純粋に疑問に感じてしまったからだ。

僕の「保守層」に対する理解が間違っているかもしれないが、僕のイメージする「保守層」は、「単一民族」みたいな主張にこだわり、外国人を徹底して受け入れない。また、映画『ワタシタチハニンゲンダ!』とは関係ない話だが、夫婦別姓に反対しているのも保守層のはずだ。

既に、外国人の存在なしに、日本が保たないことは明白だと思う。あるいは、夫婦別姓によって結婚を躊躇する人が増えているとすれば、子どももより生まれにくくなることになる。それを「良し」としている「保守層」は、「自分たちが思う『日本』が持続しないのならば滅びてしまえばいい」と考えているのだろうかと、映画を観ながらずっと考えていた。

誤解されたくないので書くが、僕は決して、「日本の滅亡を防ぐ目的で外国人を受け入れるべきだ」などとはまったく思っていない。普通に、人間が持つ純粋な権利として外国からやってくる人たちを日本に受け入れればいいと思っているし、夫婦別姓だって認めればいいと思っている。ただ、あまりにも「保守層」の主張が理解しがたいために、「自分たちが思う『日本』が持続しないのならば滅びてしまえばいい」と考えているとしか思えない、という話をしたまでだ。

映画『ワタシタチハニンゲンダ!』は、日本における「外国人を取り巻く様々な事情」について、かなり包括的に取り上げる作品だ。僕はこれまで、難民問題をテーマにした『東京クルド』『牛久』『マイスモールランド』などの映画を見てきたし、『私のはなし 部落のはなし』『主戦場』など、部落差別・慰安婦問題などを扱ったドキュメンタリー映画も見たことがある。そういう作品に触れる度、「差別や歴史問題」などについて自分なりに考えてきたつもりだ。

大前提として僕は、「戦時中や終戦直後」と「現在」を同列に比較するのは難しいと考えている。映画『ワタシタチハニンゲンダ!』では、戦前から戦後に掛けての、在日朝鮮人に対する日本の差別的な扱いの歴史に触れている。いわゆる「オールドカマー」と呼ばれる人たちだ。ちなみに、ベトナム戦争以降、朝鮮半島以外からも日本に外国人がやってくるようになり、そういう人たちは「ニューカマー」と呼ばれるようだ。

映画では、「オールドカマーに対する扱いが、そのままニューカマーに引き継がれた」という流れの説明に、在日朝鮮人の歴史の描写は不可欠なものとなっている。映画の前半でかなり詳しく語られる、在日朝鮮人の方々の厳しい状況と、その状況をもたらした日本政府の対応には、憤りを感じさせられる。

ただ、だからと言って、現代の理屈に沿ってまさに現代を生きている僕が、単純に過去についてあーだこーだ言うのもまた難しいと感じてしまう。

例えば映画の中で、在日朝鮮人に対する扱いを決する上で重要だったのが、当時の首相で
ある吉田茂がマッカーサーに宛てた「吉田書簡」だったと語る人物が登場する。「吉田書簡」の中で吉田茂は、「食糧事情が厳しく、朝鮮人に食わせる食料はない」というようなことを書いているそうだ。

そして僕は、もし吉田茂が、純粋に100%それだけを理由に朝鮮人を排斥しようとしたのであれば、それは仕方ないことであるように感じられる。もちろん、吉田茂は食料事情だけが理由でそんな陳情をしたはずがないと思うが、「僅かな食料で国民を守るための決断」という意味では、吉田茂の主張も道理が通らないこともないだろう。

何が言いたいのかと言えば、「戦争という背景がある中での様々な決断は、そういう背景を有しない現代の地点からする判断とはズレがあっても仕方ないだろう」ということだ。

もちろん、だからと言って、日本が過去に行った「在日朝鮮人への差別」が許容されるべきだ、などと主張したいわけではまったくない。むしろこの映画を観て余計に、「日本政府は
酷いもんだな」と改めて認識し直したくらいだ。ただやはり、「戦争」というのはあまりにも特殊な状況である。その特殊な状況について何か言及するのなら、やはり、当時の背景などについて知識を持った方がいいと感じるし、そういう意味で、現代の理屈で現代を生きる僕には色んな判断が難しくなる。

しかし、「ニューカマー」については違うだろう。現代に存在する「ニューカマー」に対する差別は、決して「(日本が直接的に関わった)戦争を背景にしたもの」ではない。だから、「オールドカマー」に対する理屈が「ニューカマー」にも適用されたという理屈は僕にはまったく意味不明だし、技能実習制度や入管など、日本に住む外国人を様々な意味で苦しめる状況に対して多くの人が声を上げるべきだと感じる。

映画『ワタシタチハニンゲンダ!』の構成は、大雑把に言うと、「在日朝鮮人への差別の歴史」「入管法の改正によって誕生した技能実習制度の問題点」「難民を受け入れない日本の現状と、入管の問題」の大きく3つに分けられる。

「在日朝鮮人への差別の歴史」では、韓国併合、皇国臣民化政策など戦時中の話から、終戦後に日本に残らざるを得なかった朝鮮人が民族教育を行うための学校を作っていくという話へと展開し、その後、「四・二四阪神教育闘争」の話になる。「四・二四」で「サイサ」と読むそうだ。戦後の日本国憲法下で唯一非常事態宣言が出された出来事としても知られている。

GHQの司令を受けた日本政府が「朝鮮人学校閉鎖令」を発令し、全国で朝鮮人学校が閉鎖されていくのだが、大阪と兵庫でそれに反対するデモ活動が行われ、警官が発砲した銃で少年が死亡してもいる。映画の中では、「朝鮮人学校と朝鮮総聯」の話や、「外国人のほとんどが朝鮮人だった頃に決まった『外国人登録法』」などについて語られていく。特に、朝鮮人学校については詳しく語られる。現在日本の法律では、朝鮮人学校は専門学校などと同じ「各種学校」という扱いだそうで、日本の小中高などのような「一条校」としての性格を与えられていない。それ故、通学定期券を作れなかったり、国立大学への受験資格を持てなかったりする。また後半では、民主党政権が「高校無償化」を打ち出した際に、朝鮮人学校の扱いを保留にしたことが問題になったとも説明される。確かに昔、そんなニュースを見たような記憶もあるが、そういうことだったのかと繋がった。

「技能実習制度」については、テレビのニュース番組などでも特集が組まれたり、あるいは弟が働く会社でも技能実習生を受け入れているという話を聞いたこともあって、その制度の仕組みは悲惨な状況についてはだいたい知っていた。「移民を受け入れたくない」という「保守層」に配慮して、「日本の技術を自国へと持ち帰ってもらう」という「国際貢献」を建前にしていることもあり、制度が色んな点で歪んでいるのだ。最大の問題は、「決まった働き先がどんな環境であろうが、転職は認められない」という点であり、映画に登場したある人物は、

【これまで、制度の運用の仕方を様々に変えてきたが、誤った制度を正しく運用しようとしても誤った結果しか生まれない。「転職が認められない」という点を変えられないのであれば、「技能実習制度」は廃止して新しい制度を作るべきだ】

と語っていた。確かにその通りだろう。

映画に出てきた別の人物は、この技能実習制度の問題に昔から取り組んでいるようで、アメリカで「人身売買と闘うヒーロー」として表彰されたことがあるそうだ。つまり、「日本の技能実習制度」はアメリカから「人身売買」と捉えられているのである。まあ確かに、そう言われても仕方ないだろう。知れば知るほど、とんでもない制度だと分かる。もちろん、技能実習生を受け入れる側は真っ当な会社であればそれなりには上手く機能するのだが、悪徳な業者がいかようにも制度を悪用できてしまうという点に問題がある。技能実習制度の問題に関わってきたある人物は、「この制度は、経営者を『まともにさせない』制度だ」と言っていた。いくらでも悪用できてしまう、経営者からすれば「罠」のような制度だというのだ。別の人物が、「労働力であって人ではない」と、「技能実習生」に求められる役割を要約していたが、まさにその通りだ。

そしてやはり、「難民と入管の問題」が、外国人差別における恐るべき状況として、映画の中でもかなり大きく扱われる。それは、この映画のメインビジュアルが、名古屋入管で亡くなり大きな話題となったウィシュマさんの葬儀の写真であることからも明らかだろう。

日本の難民の扱いに関する問題については、『牛久』『東京クルド』『マイスモールランド』などを観てかなり知っているつもりだが、この映画では、これまで日本で起こった様々な事態をかなり網羅的に扱っているように感じられるので、これまで知らなかった情報もまだまだあると実感させられる。

例えば、どの国でも「難民認定」のためには「自国に戻るとどの程度危険なのか」という判断が1つの指標となるが、日本は他国と比べてその基準が非常に高いという。どのぐらい高いのかと言う例として出された話に、多くの人はきっと呆れてしまうだろう。例えば難民申請者が「拷問された」と証言した場合、「拷問された証拠は?」と聞き返されるという。そんなもの、あるはずがないだろう。この話を紹介していた、難民をサポートする日本人は、「拷問された証拠を持たないからこそ難民なのではないか」と言っていた。ホントにその通りだと思う。

もちろんこのようなスタンスは、「とにかく徹底して難民なんか受け入れないぞ」という政府の姿勢が反映されたものだろうと思うので、現場を運用する人にどこまで責任があるかは分からない。しかし、難民を収容する入管施設では、日常的に暴行が行われているし、それは間違いなく現場に問題があると言っていいだろう。ウィシュマさんの件にしても、ウィシュマさんの部屋の防犯カメラの映像が名古屋地裁から証拠保全命令が出され、遺族と弁護団がその内容を確認したそうだが、弁護団の1人が、「あまりに酷い扱いに驚かされた」と語っていた。映画では、入管で撮られた実際の暴行の映像が流れもする。大の大人が10人弱寄ってたかって集まって取り押さえたり大声で怒鳴ったりしている様は、やはり異常だ。

2009年に起こった、フィリピンからの難民であるカルデロン一家の問題も、なんとなくニュースで目にした記憶がある。まだ26歳だった僕には、社会問題に対する意識が薄く、正直あまり覚えていない。

カルデロン夫妻は、14年前にフィリピンから日本へとやってきて、難民申請を行いながら日本で生活の基盤を築く。娘も生まれたのだが、2009年に、カルデロン夫妻は強制送還が命じられる。日本で生まれ育った娘がいるのに、夫妻だけフィリピンに強制送還させるというのだ。家族が離れ離れになってしまうのである。

このことは大きな問題となったが、入管や法務省は強制送還の姿勢を変えなかった。法務省は、「夫妻が強制送還を選択するのなら、娘にだけは特別在留資格を与えるが、それが嫌なら3人でフィリピンに帰れ」と突きつけ、夫妻は、娘を日本に残してフィリピンへ帰る選択をしたのである。

あまりにも酷すぎるだろう。

日本も批准している難民条約には、「生命や自由に危機を抱える者を、その国へと送還してはいけない」という「ノン・ルフールマン原則」が存在する。カルデロン夫妻に限らず、日本はこの原則に反したやり方を常時行っている。驚いたのは、日本からある難民男性を強制送還させるため、タオルで猿轡をし、手足を拘束、顔を毛布に押し付けたことで、その男性が死亡する事件が起こっていたことだ。マジか。2010年の事件だそうだ。正直こちらの話は、ニュースなどで目にした記憶がない。今ならSNSで回ってくるかもしれないが、当時はどうだっただろう。

強制送還については、裁判も行われている。と言っても、「強制送還の是非を問う裁判」ではないのだが。

法務省は2014年、まとめて難民を強制送還するためにチャーター便で集団送還を行った。その際、送還対象の男性に翌日送還される事実を告げる動画が映画で流れる。実はこの男性、1ヶ月前に難民申請が断られていたにも拘わらず、入管の職員はその事実を告げず、強制送還の前日に伝えたのだ。1ヶ月前に知っていれば、弁護士に連絡をし、裁判手続きを取ることができたが、入管はその手続きをさせないために、1ヶ月前に知っていた難民申請の結果を前日まで伝えなかったのだ。

結局強制送還されてしまった男性は、本国で日本を訴えた。そしてその裁判の結果が、7年後の2021年に出された。裁判所は、「裁判を受ける権利を阻害したことは法律違反」として、原告勝訴の判決を出した。法務省は、上告を諦めたそうで、判決が確定した。

強制送還ではないが、中国から病気の父と共に日本に逃れてきた女性は、日本に着くなりすぐに「父を入院させてほしい」と訴えたが、入管に拒絶され、結局そのまま父親は死亡してしまったそうだ。日本の難民政策云々の話ではなく、人道的にそんなことが許されるんだろうか? 

というように、日本では、難民を取り巻く様々な「常軌を逸した事態」が次々に起こっている。そのどれもが信じがたいものだ。

ウィシュマさんの事件は、かなり大きく取り上げられた。僕が以前よりは社会問題に関心を持つようになったからかもしれないが、難民が関わる事件の中でも相当大きく報道されたのではないかと思う。もちろん、日本中で政府のやり方に反対する声が上がった。

ウィシュマの事件が起こる前、法務省は入管法の改正案を提出していた。「戦後最悪の改正案」と呼ばれるほど、日本にいる難民をさらに厳しい状況に貶めるものであり、その改正案が提出された時点から反対の声は上がっていた。その後、ウィシュマの事件が起こり、反対の声はさらに大きくなった。

結局、今回の改正案は通らなかった。映画に登場したある人物は、「法務省が入管法の改正を提出して認められなかったことなんか、これまでなかったんじゃないか」と語っていた。人命が失われた大変痛ましい事件ではあるが、ある意味で多くの日本在住の難民を救ったと言ってもいいかもしれない。

難民を支援するある日本人は、仮放免(これが何かは調べてください)になった難民に話を聞いた際に言っていたことを今でも覚えているという。

【日本にいる難民の誰もが、自国に住みたいと思ってますよ。「もし自分の国が平和なら、1日たりともこんな国にはいない」と言っています】

「こんな国」というのはもちろん日本のことだ。「1日たりともいない」と言わしめるほどの扱いを、日本という国がしているというわけだ。本当に、難民を取り巻く状況は悲惨だと言っていいし、それに無関心でいる僕たちも残酷だと思う。

このようにして、日本を取り巻く在留外国人の現状が様々に描かれる映画だ。

最後に、ちょっと映画製作者たちに言いたいことがある。是非とも、日本語で喋る外国人の言葉を字幕で表示してほしい。

これは、「外国人の日本語は聞き取りにくいから」というだけが理由ではない。

最近僕は、「最近の若者は、耳から文章を理解する力が著しく低い」という記事を読んだことがある。人によって差はあるだろうが、「ラジオを聴けない」というレベルの子もいるそうだ。その要因の1つとされていたのが、「YouTubeの字幕」だ。日本人が喋っている日本語も、字幕付きで追う人が多いから、音だけで文章を理解する能力が衰えている、という説明だった。ホントかどうかは僕には分からないが、そうだとしてもおかしくはないと感じる話だった。

この映画を若者が観たいと感じるかどうかは分からない。しかし、関心を抱いた若者がいたとして、「何を言っているか分からない」と思われてしまったら大きな損失だと思う。その可能性を潰さないためにも、せめて在留外国人が喋っている部分だけでも、全文を字幕表記すべきだと思う。

いかがでしょうか?
ナガエ

ナガエ