いのりchan

カラオケ行こ!のいのりchanのレビュー・感想・評価

カラオケ行こ!(2024年製作の映画)
1.0
はじめに、わたしの立場を述べておく。わたしは、当該作品の《実写映画化》というメディアミックスについて、2022年6月の映画化決定の一報から反対していた。そして、その当初からの危惧が、本作品の鑑賞後に拭えなかったことをここに記しておきたい。それはわたし自身が原作のいちファンで後続作品の「ファミレス行こ。」(昨日の28日に上巻発売)も本誌で追っているといった立場が関係しているともおもう。

鑑賞を終えて2日経ち、例えば「原作と異なっている点に疑問を覚えた」などといったことはあまり感じず、換言すればそれは「原作のいちファン」としては、申し分のないメディアミックスを魅せてもらったということなのではないかともおもうが、この作品の危うさを理解しているからこそ、こうしてメディアミックスすべきではなかったとも強く思っている。これは作品の単なる「良し悪し」ではなく、題材そのものと、日本社会の現状がかなりの問題含みであることに起因している。だからやっぱりメディアミックスというものは公共性の観点からとても困難な場合があると思っている。

27日鑑賞直後のわたしの初感ツイートを引用したのち、以下、作品についてレビューする。
《「カラオケ行こ!」試写で鑑賞。のちほどレビュー公開しますがやっぱり「ラブコメ」という本質を脱色するのは相当に困難なことだったとおもいます。そのような試みに成功しているとはわたしはおもえなかった。権力勾配を考えれば二人の関係性は最初から最後までやっぱりずっと問題含みであることを突きつけられただけだった。「だからフィクションなんじゃん」とかじゃなくて。ただ、ド直球成田狂児キモおぢムーヴの「助手席は…女も…」的発言がまるっと削除されて修正されていたのは評価できる点だとおもう。》

また、「ファミレス行こ。」のspoilerについても記述するので注意してください。

・・・

めーーーーーーーっちゃ野木脚本は原作を踏襲しながらの色付けに努めていて、かつ演者が成田を成田し過ぎているくらいに成田だったので(YAZAWAがYAZAWAやり過ぎている)、ほんとうに14歳と39歳の「奇妙な友情」を「青春」に読み替えようという気概を感じたのですが、そんな感じで野木脚本は原作感を損なわず、かつ演者が成田を成田し過ぎているくらいに成田だった(YAZAWAがYAZAWAやり過ぎている)がゆえに(※2回目)、まっっっっったく「ラブコメ」感が抜けず(いやマジで)ずっとラブコメでした(最悪やん)。女性の登場人物が2人増え(野木脚本だ・・・)、意味のわかんない会話の応酬に「生理は恥ずかしくないよ!?」が入り(野木脚本だ・・・)、聡実くんが狂児の「クソバカドアホ異性愛規範“男女がそこに存在したらあたかもそれが即!完璧に!絶対!成立しているかのように押し付けられる色恋”的からかい」にブチギレるという改変はたいへんよかったです。

でも、やはりこの作品の根幹にあるのが「中学生とヤクザが密室に二人きりになる」シーンという基本構図であったためにその暴力性によって全然集中することができませんでした。あんなとこで「おうたの練習」ゆわれて断れる中学生はいません。聡実くんが中学生女子だったら絶対に実写化しなかったでしょ。でも男子中学生だからいいってわけじゃないじゃん。本気で言ってる? て終始脳内が忙しかった。

また、映画化は原作とは異なり聡実くんの文集回想という構成ではなかったために、最初から最後まで聡実くんの感情のジェットコースターに一緒に乗らされてんねん。すごくヴィヴィッドに狂児への親愛友愛それ以外を感じました。「ついてこんとって!」←本当にそう。

また、原作よりも聡実くんから狂児への感情が厚く記述されており、聡実くんがどのように「合唱(声変わり・「大人の階段」←この表現支持していませんが作品準拠)」をdealしていくかがより丁寧に記述されていたよ。でも長く感じなかったのはやっぱり脚本のおかげかな。

原作の湿度感(ドライさ)が消えているので、聡実くんの葛藤を先生方や周りの友人たちが受け止めてくれている一方で和田がコントラストのためにめっちゃ熱いやつになっててそこも面白かった。聡実くんが会場まで行って「歌えません」ときちんと言ったからこそ不義理をしないという改変も良い点だと思う。

映画を観る部は、聡実くんにとっての狂児を客観化する装置にもなっていて、だからあたし最後狂児はもう聡実くんの前に現れないルートだと思ったのに!

ちゃっかりエンドロール後にそうではないとされたので、やっぱり肯定的評価がひとつもできなくなったって感じです。実写化はそれこそ狂児は「ほんとにいたけど幻」(もう会わない)でよかったんじゃないだろうかとあたしは思ったけどみんなはどう?でもそれじゃ納得できないこともわかるけどどう?

けれど、聡実くん役の齊藤潤さんのコメントが「『カラオケ行こ!』の世界だからこそ、発言とか行動が成り立っているという…」「『こんな世界が現実にあるんじゃないか』と信じてしまうくらい、…」と“非日常”の世界観を的確に言葉にしてくれていてたことはほんとうに助かったな〜という感じでした(コミックビーム本誌)。

また上でも触れたように、自分はまったくスベッているとおもっていないが実際はマジでホントにドン引きセクハラ最悪な成田狂児クソバカドアホド直球キモおぢムーヴの「助手席に座った人間はなんでか俺から離れられへん」「女も…聡実くんも…」発言がまるっと削除されていたことは嬉しかったです。

ファミレス行こ。についてもあまりのラブコメ感でこの3ねん駆け抜けてきており、聡実くんが夜勤で貯金(韻踏んでるよ)したり時計を煮出したりしながらずっと狂児にキレててほんとうにいい。ずっといちご狩りの「もう無理です付き合いきれません」の時を繰り返している感じでとてもいい。わたしは本誌を3ねん追ってひとりでずっとのたうちまわっていてほんとうにどうしたらいいかわからないので困っていますが、本誌軸でも聡実くんが和田に謝ったりしているので皆さんもこれから乞うご期待ください。いや違うんですよ。ファミレス行こ。めっちゃおもしろいのですが、あたしが伝えたいのはカラオケ行こ!もファミレス行こ。もずっと一貫してラブコメなのでやっぱりこれは実写化しては不味かったということです。

鑑賞後、ずっと悶々としていたあたしは、本日公開されたブルボン小林氏のレビュータイトルの「理想の実写化」でハッとしました。原作ファンとしては理想の実写化とおもえるほどに原作に忠実だったし、ヤな毒気はある程度抜かれているからこそ、未成年と成人(しかも反社会的勢力)、そしてとりわけ濃い感情の交歓という権力の勾配に敏感でいたい、もう世に出てしまったので観る側は気をつけてほしい、と切におもいます。皆さんマジでよろしくね。

このことは、「イマジナリーヤクザ」や「フィクションヤクザ」という架空の便利な立場だから…と逃げずに考えていかなきゃいけないところです。ミナミ銀座という場所についての狂児の一言についてもあたしはBAD LANDSなどとの繋がりを感じました(別監督別脚本別作品だけど)。────「綺麗なもんしかあかんかったらこの町ごと全滅や」、とはいえこの点は掘り下げが無く、予告でもわかるように聡実くんの成長と繋がっているのみとおもいます。含みはあるけれど。

>映画「カラオケ行こ!」は“理想の実写化”、ブルボン小林がレビュー! https://natalie.mu/comic/pp/karaokeiko01(コミックナタリー 特集・インタビュー)

最後に、それでもあたしは自分のすきな部分が映画化によってより明度と彩度がともに高まった点として評価したい部分を挙げます。映画でなければなし得なかった部分であり、それとしてこの部分が軸となっていたことがうれしいということ。

この映画の見どころとして、あたしはやっぱり、聡実くんが自分の「少年性(変声期前の声)」と引き換えに狂児を地獄から蘇らせた、というヤバ構図ではなく、自身の「成長という未知」から逃げずに「紅」を歌い切ったことが、狂児の存在感とともにしっかりと描かれていること、そこに映画ならではの「紅」の解釈という彩りが添えられていることをあげたいと思います。

聡実くんは自身の何をも犠牲にせず、あの夏から秋を駆け抜け、前へ進んだということを記しておきたいとおもいます。