好きな人を助けたいという気持ち。
好きな人のお母さんを助けたいという気持ち。
それはエゴなのか。
相手のために「してあげたい」というのは、突き詰めれば自分がしたいことをしてるわけで、そういう意味ではエゴと言える。
けど、そんなことを言ったら、相手を思いやるという人と人とのコミュニケーションは、優しさはすべてエゴということになってしまうのか?
今作はその曖昧で答えのない境界線の上を丁寧に描いている。
本編観て分かったけど、大事なところは全部ネタバレになっちゃうから予告に使えないんだよね😅
だから、予告で見た時にLGBTQを中心にした物語だと思ってしまってたけど、正直そこは特筆すべきテーマではなかった。
それよりもヤングケアラーという問題が盛り込まれていたことに、ドキッとした。
でも、鈴木亮平の混乱した時の仕草や表情はいつもと全然違っていて。もちろんあれが正解とかではないけど、シンプルにやっぱりこの人凄いなと思いました。
好きだったのは、龍太が初めて部屋に来て、帰ったあとの浩輔のハシャギっぷり😆あれ最高!こっちまで浮かれて楽しくなっちゃった💕
以下少し本編に触れるので
↓↓↓
浩輔と龍太のお母さんは、互いに「愛する龍太の大切な人」であり、唯一、龍太を失った喪失を分かちあいながらも笑い合える相手で。
なのに浩輔はその相手すら失うという現実を突きつけられる。
「愛がなんなのか分からないです」
どこまでが愛で、どこからかがエゴなのか、そんなの誰にも分からない。
でもお母さんが言っていたことが、ある意味で正解だと思った。
「私たちがそう思ってるんだから、それでいいじゃない」
ハラスメントと同じで、自分がどう思って行動したかよりも、相手がどう受け取るかということが限りなく答えだったりするのかもしれない。
何度も何度も考えてしまうし、もう一度3人が幸せだった時間からやり直せないかと思ってしまう。どこでどうすれば良かったのか。
もう一度、全部わかった上で再鑑賞したい作品です。