くりふ

エデンより彼方にのくりふのレビュー・感想・評価

エデンより彼方に(2002年製作の映画)
3.5
【健全という名の不健全】

米50年代、すべてに満たされているはずだった、ジュリアン・ムーア演じるセレブ主婦の、砂上の楼閣物語。

最近、ダグラス・サーク作品をまとめてみたのですが、その後にみた『天が許し給うすべて』のパロディである本作の方が書き易かったので、こちらを先に投稿します。

本作はパロディであることと、作品の成り立ちを知っていると、うんうん頷けますね。でも頷けても、そう面白くはなかったですが(笑)。

まず、町山智浩さんによるトッド・へインズ監督へのインタビューが、とても参考になったのですが、そこから少し紹介します。

○ゲイである監督は大学時代、ゲイについて学びたかったが、まだ学問として確立されておらず、女性も被差別ジェンダーだから、という意味でフェミニズムを専攻。そこで主婦が家庭に縛られていた50年代に興味を持つようになり、ダグラス・サーク作品と出会う。

○本作はサーク監督を好きな人だけのために作った。それ以外の人に観てもらえるなんて思ってもみなかった。サークを知っている人には一種のパロディとして笑える。

…ということでまず、笑っていい作品なんですね。

私もまずは、事件の発端となる「妻は見た!」の大仰演出に大爆笑したんですが、その後は、そんなでもなかったのです。

でも吹替え版だとこれが可笑しいんですね…微妙なヘンが際立って。多分原語が可笑しくて、吹替え版はそれを意識したんじゃないかな。

但し、描かれるゲイの受難については笑えませんでした。監督は自分ごとだから逆に、当時の差別を笑えたのかもですが、社会的には公にできず、病気でないのにそう決めつけられ、こっそり、無理な治療を強いられる。…自分なら耐えられるだろうか?

黒人差別も描かれますが、クローゼットしないとならないゲイの方を、より深刻に感じて、むしろ監督の想いはここじゃないかと感じました。

そもそも本作、ロック・ハドソンの伝記?を始め作ろうとしたものが、巡り巡ってこうなり、50年代のゲイを描くことが残ったようですね。

上記は、ヘイズ・コードの時代には一切描けなかったことですが、サーク・パロディであってもサークと違うところは、多々ありますね。

主人公の主婦は、夫の不在という欠落感から始まるのではなく、すべてが揃っているところから、どんどん失くしていく道を辿ります。そして決定的な違いは、「機械仕掛けの神」が降りてこないこと。

愛を結びつけるために用意される「不幸イベント」さえ起こらずに、人物たちは離れてゆく。季節の変化が丁寧に追われますが、彼らの心情より、無常を表しているようです。そんな辺り、現在(2002年)からの視点が入っているように思います。

主人公の、風に舞う紫のスカーフが印象的に使われていますが、彼女自身が、ふわふわと所在ないまま、終わる印象ですね。

このセレブ主婦は、バービー人形のような体型が望ましかったと思う。彼女の人生はImitation of Lifeだったのですからね(笑)。ジュリアンさん妊娠で生々しさが出て、人工的空間では異物感あり。

役者さんは皆、記号的人物を記号的にうまく演じていると思います。が、黒人庭師のデニス・ヘイスバートさんにはちょっと違和感。彼はかなり、生身の人間としての存在が立っちゃってると思う。もっとスカした黒人俳優使った方が、嵌ったような気がしますね。

『天が許し給うすべて』との違いで気になったのは、鳩がいない!(笑)あちらでは、鳩が冒頭と中盤で、巧妙に使われて感心したんですが、冒頭のカメラワークを似せているのにいないから、余計気になった。

タイトル『Far from Heaven』も、『All That Heaven Allows』を、変奏したものだと思いますが、命名の真意は測りかねております。Heavenから遠ざかることはまあわかるものの、出典は詩の一節なのか、聖書なのか、作中の会話でも出てきましたが、私はよくわかりません。

…邦題の意図は、もっとわかりませんが(笑)。

あ、爆笑もひとつあった。ジュリアンさんのクリスマスコスプレ!この衣装は物凄い。まさに自分で自分を記号化しているようでした。

<2013.4.24記>
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