Oto

MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらないのOtoのレビュー・感想・評価

3.9
「オフィス映画」部門があるならグランプリだと思う。『アパートの鍵貸します』『生きる』とかオールタイムベスト級に好きだけど、あれらはオフィスよりは大きな規模で撮られてるし、『LIFE!』『イエスマン』のようなサラリーマンの葛藤を描いたコメディは多かったけど、日本の社畜文化を作品に昇華するというのは盲点。

低予算でほぼ室内の狭い空間だけで映画を撮るとなったときに、『十二人の怒れる男』みたいに最高の会話劇を作るのか、あるいは『GUILTY』のように外部と通話などでつなぐのか、など選択肢はいろいろあるけど、タイムループというのはたしかに抜け道として上手。思えば『カメ止め』も繰り返しの映画だし、一つの定石なのかもしれない。

『もう限界。無理。逃げ出したい。』で培われたスキルも発揮されてるし、実際テイク違いのように同じ曜日をまとめて撮るような段取りで撮られていたらしい。窓を通して外の世界から相対的に自分たちを認識するというのは『裏窓』が元ネタかな。

・巧妙なミッションと設定
まずミッションの設定がユニーク。前半はややこしい「上申制度」を通さないと説得ができないという展開で、主人公が接するキャラクターを増やすことで、同じ空間でも飽きさせないように工夫している。

ミッドポイントでは目的が転換して、漫画の提出が目的になるわけだけど、主人公の葛藤と目的がうまく連携していて、仕事以外に割く時間が増えてしまうと、自分自身の本来の夢が叶わなくなってしまう。もはや繰り返しの世界にとどまった方が安全では?というタイムループによくある葛藤。

腕輪を壊すんだ!とか、漫画を完成させるんだ!とか、モチーフが少し地味だな…と思うところはあるけれど、「タイムループから抜け出したい」という曖昧な目的を具現化するために、みんなのわかりやすい共通目的を設定している。

そもそも「繰り返しのような日々を送っている」社畜たちなので、「タイムループに入っても気づかない」という設定がすごくユニーク。chocolate栗林さんが新年に毎年「今年はたくさん作るぞ!」とつぶやいていたのをみて思いついたとのことらしいけど、あらゆるサラリーマンが抱える葛藤だな。。

・等身大の変化を描く
テーマも考え抜かれていて、「自分はこんなところにいるべき人間じゃない、ここはまだ通過点だ」「才能ある自分は、周りの脳天気な人たちとは違う、今ここを耐えたら次のステップにいけるはずだ」みたいな未来志向&自分中心の人間ってすごく多いし、自分にもその節がある。だから明らかに無理なことだって自分を犠牲にして引き受けてしまうし、肝心な目の前の仕事がテキトーになってしまう。

特に2幕→3幕への転換あたりが緻密に作られていて、追い詰められたことで同僚への本音・本性が現れるシーンもそうだけど、転職先を初めて訪れたことで自分が憧れ続けた世界は「絵に描いた餅」だったんだということに気付いたり、実は身近にすごくリスペクトできる存在がいることに気付いたり、一番大切にすべき人を雑に扱っていたと気づいたり、ということがすごく自分にとっても切実な問題に感じられた。

最近ほんとに思うけど、「ストイック」を履き違えて、目の前のこととか周りの人を大切にできない人が結果を残してる事例ってほんとにない。。世の中のスターからは例外なく周りからも愛されていて、一つのことへの余裕もない人間が大きなことを成し遂げられるわけがない、というテーマだなと感じた。その意味でも、周りの人を愛する(目を向ける)という「上申」の過程は必要だったと思う。

そのような変化がすごく明確に描写されていて、秘書のアドバイスに聞かずに頼んでいたVコンの発注先を変えたり、却下していた先輩のコピーの価値に気付かされて他人の成果だと認められるようになったり、身近な人間の漫画家という夢に気付いて応援できるようになったり、各シーンの描き方が丁寧。広告コンテンツ会社の企画だけど、知っている世界を描くというのはすごく大事。

・プレゼンシーンすごくウケていて、ユーモアセンスも素敵。逆になぜあそこまでまで笑いを取りに行かなかったんだろうとすら思ったけれど、フリ続けたからあそこで爆発させられたというのもあるんだろう。「笑いは驚き」と聞いたことあるけど、そこまで用意周到なのか!という驚きを何段階も用意している面白さ。

・作中作の難しさとして、漫画が感動の閾値を超えてこなかったとは感じた。どこか大橋裕之さんを感じるような漫画だったけど、『メタモルフォーゼ』で泣いてしまったのを思い出すと、やっぱりこの作品のために都合よく作られた漫画という感じがしてしまった。叶えられていない夢と向き合い続けるという希望は良いけれど、全然違う設定がそこでもう一つ乗っかってしまう複雑さとか入り込めなさはあった。

・映画というより「動画」的な作品だと感じていて、その潔さが好きだったりする。BGMべったり使ったMV的なシーンも多いし、ハンディのシーンも多くてキメにいこうみたいな意識はあまりないと思う。その意味では劇団ノーミーツとポジションが近いと思うんだけど、あちらよりずっと好きなのはやっぱり「脚本」の精度が全然違うからで、技術というのはやっぱりおまけでしかなくて、根っこの物語の感動がないとどんなに飾っても感動はついてこないのだと改めて感じた。あとは主演の円井さんが言っていた「自分が絶対に出ないように、お調子者が出てしまったら作品が破綻する」も超大事だと思っていて、ノーミーツの某長編が俳優のエゴで台無しになっていたのを思い出した。

・映画づくりという「集団創作」がメタにテーマを象徴しているけど、何かを本気で作りたい・成功させたいと思ったら、他人をリスペクトして頼りまくることでしか為し得ないんだろうと最近感じる。映画の専門家じゃないからこそピクサー式でチームで脚本作りをしていたり、プロの記録や助監に入ってもらって進めていたらしいけど、「上手くなるまで一人で黙々と練習して、みんなを見返してやるんだ」みたいな精神の人間が何かを成し遂げるのはすごく難しい。パンフ代わりのnoteも面白いのでおすすめ。
https://note.com/mondays_cinema/

・監督の原点は『Back to the Future』『Home Alone』のようなファミリームービーで、小学生の自分がみても楽しめるようなものを作りたいということを言っていたけど、改めて自主映画界隈に根付いている、芸術性の高い・ギミックに頼らない・深刻な問題を扱っている作品の方が優れている、みたいな意識ってすごく不毛だなと感じた。もちろん他人に評価されるためではなく自分の内的な好奇心のために作るってすごく大事だと思うけど、そこに執着しすぎることで生まれる排他性って世界をあまり良くしていない。それよりも先人たちをリスペクトして学んで、その肩の上で自分たちにしか作れないものを作るということだなぁと『恋はデジャヴ』好きとしても感じた。

・冒頭のクレジットからループさせるみたいな細部の工夫もすごく好きで、たしかにそれをやった人はいなかったな〜と思った。逆にラストのおまけシーンはもうちょっとできたのでは...?というか蛇足では?と感じた。
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