ジョンマルコビッチ総統

スピリッツ・オブ・ジ・エアのジョンマルコビッチ総統のレビュー・感想・評価

3.7
フィルム焼けしたような強いコントラストの青空と荒野。
巨大な十字架の群れや錆びた車の墓場、巨大なウィンドミルなどが寂しげに風に揺れる退廃的な世界を彷徨う一人の男。

男はやがて荒野の中に佇む小さな小屋にたどり着く。そこには飛行機を作り空を飛ぶことを夢見る車椅子の男と、異常に偏執的なその妹が住んでいた。

「バクダッドカフェ」か、はたまた「アリゾナドリーム」か。
思い起こせば、欧米の荒野を舞台とする映画は熱病のような不思議な浮遊感があるものばかりだ。
本作ももちろん、アンニュイで、孤独で、どこか風変わりな人々が織りなす人生の物語であり、ストーリーは曖昧なくせに、その映像を強烈に網膜に焼き付かせ、胸を締め付ける。

荒野は彼らにとってどのような存在なのか。この映画には一つの答えがあったように感じる。
この映画ではキリスト教のモチーフが随所に現れる。確かに荒野は楽園からの放逐の地であり、悪魔の誘惑と試練の地であり、また神との契約を得て安住の地へ至る道として象徴的な地形である。
この物語において荒野を彷徨う旅人スミスはカインかモーセかはたまたイエスなのか。聖書にそこまで明るくないので読み解けていないが、彼が身を寄せる風変わりな兄弟がそれぞれの希望と絶望を込めて彼を見ていることから、彼が兄弟にとっての革新者ではあるということだけは分かる。荒野を旅して訪れる客人は、バクダッドカフェのジャスミンのように変化ときっかけをもたらす特別な存在なのだ。
またスミスはといえば彼もまたこの家に命を救われ過ごす日々で人間性を取り戻したように描かれている。旅人にとってもまた荒野は試練に出会い、苦難を乗り越えて、希望を見出す土地なのだろう。
そう考えると本邦の先人が険しい山や西の海に悟りや浄土を見出し巡礼するように、荒野は己が魂を見つめ直す巡礼の地であり、まさにむき出しの人間ドラマに相応しい土地なのかもしれない。
もっと広く捉えるなら飢えや渇きに耐え歩を進める人生そのものなのではないだろうか。

ストーリーは特にドラマチックなことはなく、謎は匂わせるだけで明快な解決はない。漠然とした不穏とデカダンスが支配する本作は見る人によってはひどく退屈な映画だろうと思う。それなのに観るものを惹きつけてやまないこの魅力はなんなのだろうか。
全編を通して流れる憂鬱な音楽、デ・キリコの絵画のような寂しげな陰影、どこまでも孤独な憧れと鬱屈が、不思議と脳に心地よく忘れがたくさせる。 

ああ、あの映画が狂おしいほど観たい。
多分私はこの先そんな衝動に駆られるようになると思う。