ゾ

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしいのゾのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

配信きたのでやっと見られたけど年間ベストに食い込むかも ありがとうありがとうありがとう!出会えてよかった すごく真摯に向き合ってもらえている、大切にされていると感じた 手放しに肯定するだけではなくて

マイノリティでしかない人って少なくて、みんなある面ではマジョリティでもあることが多い だからある面では傷つけられてるのに、別のある面では平気で人を傷つけている それで苦しんでいる七森や白城の存在がわたしにはすごくありがたい タイトルにもある「やさしさ」が神格化されていないことにこそこの映画の意義があると思った 

わたしがわたしであること、それだけで傷つく誰かがいること そして人とほんとうに繋がろうと思うことは、己の傷つきを開示することでもあって、つまり相手を傷つけることは避けられないんだと思う だからぬいサーの彼ら(特に七森と麦戸)は優しすぎるあまりに繋がれない だから他者に助けを求められないままこぼれ落ちそうになっていってしまう 実際この優しさで溢れていく人たちがたくさん今もいると思う 傷つけ合う可能性があることを、特に自分が加害することを引き受けない限り人と繋がることはできないとわたしは思う

七森が連れてきたぬいぐるみが手を振ってるように見えるシーンとか、ぱちぱちしたぬいぐるみの輪郭とか、虹色がかったぬいぐるみ側の視界とか、柔らかくてきれいに光っていてすてきだった

すごく揺さぶられたセリフがいっぱいあったので、覚えている限りで抜粋(あいまい)

「使っていい語彙が制限された感じ」
「嫌なこと言うやつは、もっと嫌なやつであってくれよ」
「落ち込みたいまま、落ち込める人が集まれる場所って、ぬいサーくらいだと思うから」
「傷ついていく七森や麦戸ちゃんたちを優しさから自由にしたいわたしは、ぬいぐるみとしゃべらない。」

この作品がすっごくよかったのとはべつに、この後に及んで、わたしはきっと平気で人を傷つけているのに、ぬいサーの人たちが話しかけているぬいぐるみたちはつらい話をされても拒否することができないことが気になってしまった ある種人よりもぬいぐるみを大事にしている なんでなんだろう 合意の取れない存在に何かをすることってこわい 合意とれればなんでもして良いって訳でもないのに
ゾ