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ホワイト・ノイズのおっとっとのレビュー・感想・評価

ホワイト・ノイズ(2022年製作の映画)
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この映画の最も大事な部分として「ノア・バームバックは誰に何をもたらされたのか?」な気がするんですけれど

物語は現代の不条理劇といえば(バームバックらしい、ねちっこさと回りくどさが相性合いまくって苛立ちは堪らないが)難解なことはなく、
「何もかもが信じるに値しない状況において、たとえ堂々と大ぼら吹かれても、”信じるに値する人”と自分が信じている人を、信じる道しかない」
という、現代の不条理劇が持ち合わせるのは、終わりが来るかもしれないという終末感よりは、もう終わりが見えた先の開き直り。終わりは来るのはとうの昔に知っている。

で、劇中の人々に押し寄せる恐怖とは「信じるに値すると自分が信じている人」への不信感なのか、何もかもが混乱に呑まれているその不安なのか、何かリアルでそうでないかかの世界への不信感なのか、そもそも「リアル」であること、そのものには何も価値がないと気づいてしまった絶望なのか、それの全て含めての漠然とした何かなのだろうが、非常に現代的である。

それよりも何より困惑したのは、「これはバームバックの映画なのだろうか?」という点であり、
会話でものを運ぶさま、トンチキにも近いそれはマンブルコアを背負わされた彼の作風なのだろうが、カメラが、色彩が、物語の運びがまるで変だ。
原作小説がどれだけ奇怪な作品なのかは知らないが、まるで『インヒアレント・ヴァイス』のピンチョンを倣ったアンダーソンのそれだし、同色から同色でカメラを送るあたりは、ウェスアンダーソンだか分からないが、細かな芸だし、そもそもカメラワークが特出して意識される監督ではなかったはず。

バームバックがやってみたかったことに、トライできる十全なバジェットをNetflixがもたらしたのか(いやでもマイヤーウィッツからずっとなのであまり変わるわけではなかろうが)
時間的余裕(orスタジオ撮影)をコロナ禍がもたらしたのか
原作がバームバックの野心的意欲をくすぐったのか
ここまでキャリアも名も通った監督の、このタイミングでの作風の変化は非常に興味深いし、次が楽しみである。
(でも大前提に、バームバックが描く「愛すべきキャラクター」たちが苛立ってしょうがない人間なので、監督作は愛を込めて「嫌いだ」と毎度言っている)
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