パーソナルな憤慨が露呈される流れで偶然象徴化されて”しまった”アーサーの、カリスマとしてのピエロのメイクにザクザクとメスを入れていく。刑務所もの、ファムファタールもの、法廷もの、そしてミュージカルと複数の要素が散在するもののどれも正直面白くなく、脚本の起伏もほぼ無いので、明確に脱カタルシスが図られているように見える。総じてアンチ悪のカリスマ、そしてアンチ前作的な壮大な内省、落とし前として、やや不細工ながらも前作との対比でしっかりと輪は閉じるあざとさは嫌いになれない。
個人的には哀感ある中年男性映画として非常に好みだった。心境を全て語ってしまう平坦な現実逃避歌唱シーケンスの数々も、メイン2人の痛々しいカップル具合も、全て空虚。さながらメタフィクションかのように前作のジョーカー像を追い求めるリーら、そしてそれに呼応しジョーカーという脆弱な実存を掴むアーサーの関係性も不安定で病的。哀しく響くThere is no Joker、歌うのをやめてくれと懇願するアーサー。そもそもどこにもジョーカーなど存在せず、一人の中年男がいるだけだった。あまりにも虚しすぎるが、これが人生だと提示されたら、そうだよなあと頷くしか出来ない。