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ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!のdemioのレビュー・感想・評価

4.5
映画が始まるとき、「nickelodeon」のロゴが映る。
飛び散る液体をロゴに構えたこの子供向けチャンネルは、特に90年代、キャットドッグやアングリービーバーズ、(そして何より)レン&スティンピーといった不潔で、クソ、小便、唾、ゲロ、ニキビを惜しまず画面に出すファンキーなカートゥーンを数多く送り出していた。
そんなチャンネルがいまタートルズを、セス・ローゲンを製作やストーリー作りに迎え、ドロドロした汚らしいウーズに滴る「ミュータント・パニック」のロゴを添えて送り出すのだから、この映画は原作タートルズのテーマに回帰し、地下、下水、不潔を正面からえがくのだという覚悟を予見させられる。
タートルズは、80年代前半に生まれた原作コミックまで遡ればあきらかなように、当時のニューヨークの文化的状況が戯画化された作品だった。
70年代末~80年代前半、地区の財政崩壊から治安が悪化し、富裕層が抜けていったあと移民と黒人それらによるギャングたちで荒廃した北のブロンクスにヒップホップが生まれる。ヒップホップの黒人たちは、ショウブラザーズやブルース・リーの映画を通じてカンフー(白人を打ちのめすアジア人の屈強な身体)に感銘を受けていた。NYでカンフーやカラテを身に着けたスプリンターというネズミ(都市の不潔な生物の代表)がいて、その父から下水の環境下で修業を受けた亀たちがニンジャになり、ブラザー4人のトライブを形成するというのは、容易にアンダーグラウンドの黒人たちを指差すものだった。
今回の映画内でも、わざわざタートルズの居住地をマンハッタンより北のブロンクスであると明言させたことからも、制作陣がタートルズとNYの地理的因果に自覚的であるように映る。
タートルズは父を通じてチャン・チェのカンフー映画からHipを学び、野外上映されるジョン・ヒューズ『フェリスはある朝突然に』にSmoothの精神を得る。
ミュータント(遺伝子の輪郭をおびやかす変異体すなわち、その土地の国体を曖昧にする移民)において、かつて移住と定着のときに味わった民族排斥を記憶に持つ第一世代は、その憎悪を糧に力(フォース)を蓄える。作中、ハエとネズミという病原菌の媒介生物を代表するあの二者である。
いっぽう、生まれたときからNYで生きる2世(Jr.)のタートルズは、ストレンジャーでありながらも、その土地をネイティブとするため父たちほど地上に対して強迫的な感情を持っていない。父の教えをやぶって地上へ遊びに出るし、ゲロを吐いて共同体から締め出される女がいれば民族を異としても一緒にピザパーティが営める。
そんなタートルズが「地上(マンハッタン)×下水(ブロンクス)」の憎悪関係の調停者になり、被差別の歴史に対する怒りのあまり「俺の言うことを聞けばいいのだ」と兄弟・息子たちにファンダメンタルな態度を取るようになって暴走したハエ(ボロボロの衣服を無節操にツギハギして派手に着飾る姿は、オールドスクールヒップホップと同世代のNYアンダーグラウンドに位置するNo Waveのパンクスを想起させる)を退治した末に、エンディングでATCQのCan I Kick Itが流れ始めたとき、感動して泣いた。NYにおけるニュースクールの産声を示すこの曲が、そしてこの曲の滑らかなビートが、移民の2世(Jr.)でありジョン・ヒューズの映画をこよなく愛するタートルズの軽やかな態度をもっともわかりやすく示すものだと、いわばニュースクールのダイナミズムを下水の亀たちに託したアニメだったのだと、制作陣から語りかけられたようで。
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