「やって来た星がバラバラなんだから、わかり合えないのは当然なんだよ」
めちゃくちゃラディカルな映画だと思った
「ちひろさん」という生き方の実践は
我々の生き方と世界の見え方をひっくり返す
ちひろさんは別にいい人ではない
そして別に優しくもない
ただひたすらに、フラットなのだ
小学生にも、高校生にも、ホームレスにも、あげく猫にも
でも世界はフラットではなく複雑だから
ちひろさんのフラットさは別に正しくない
ちひろさんのフラットさはある種の諦めだ
私たちは違う星の住人だから
だからひととの繋がりが豊富にみえる彼女は
誰よりも孤独なのかもしれない
それでも、孤独は果たして避けるべきものなのか?
生き方は、誰かに肯定される必要があるのか?
ひととの「家族」「恋人」「友人」という名前のある繋がりは必要なのか?
きっと同じ星の住人はどこかにいる
それを知っているちひろさんの世界は
どれだけ孤独でも
どこまでも豊かだ
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今泉力哉のやりたかったことが「愛なのに」を見てから自分の中で腑に落ちている
この映画もその連なりにある映画だと個人的には感じた
「プライバシー」と解答を拒絶した多田のように、ちひろさんはあらゆる他者からの承認を拒む
「名前」という家父長制の表出を拒み
死は自らの手で埋葬することで国家を拒み
新たに「父親」を定義することで血縁を拒む
今泉力哉が前に「自分は結婚しているし子供もいるけど孤独だ。そしてそれは悪いことではない」という趣旨のツイートをしていたけどこの映画はそれに尽きると思う。
どんどん高みにいく有村架純の魅力にドライブされながら、世代のトップランナーと言ってさしつかえない豊嶋花と嶋田鉄太のとんでもない表現力に下支えされ、すべてをくるりの音楽が包み込む
個人的には佐久間由依が圧倒的なハマり役だしこの映画の意味だと思った
この映画を「風俗肯定ミソジニー映画」だと叩く批評を見たことがあるけれど、何を見ていたのかしらと思うしたぶんちひろさんは相手にしないのかなぁと思う
それらしいことを言って批評家ぶっているようにしか思えない
この映画は何か絶対的な価値観を肯定していない
ただひたすらにちひろさんというオルタナティブに生き方を提示しただけ
それに救われるのも苦手だと思うのも全部自由
新宿武蔵野館という大好きな映画館の満員のスクリーンで
ラストに流れるオリジナル映像めちゃくちゃ今泉力哉!って感じで元気出た