sakura

無法の愛のsakuraのレビュー・感想・評価

無法の愛(2022年製作の映画)
4.5
いろいろ思いすぎてしまって、どこに焦点を当てればいいのかまだ消化できていない。

『鈴木竜也短篇集 三人の男 MEAN ANIMATION』にて。

ぽつぽつと気になったところと思ったところを挙げると、まずあの「只野一男」のニュースにいちいち一瞬だけツイッターで騒ぐ「ひと」たち。
うちの推し(川谷絵音)は、SNSでの誹謗中傷とかそれに対する「法的措置をとります」みたいなのが出てくる前に彼を知らなかった人からもしぬほど叩かれてて、当時はわりとそういうのに無法地帯みたいなところがあったのもあって、未だ折に触れて当時のことを話している。『戦ってしまうよ』っていう曲がすごく好きなのでぜひ(隙あらば推し語り)
なので、あの描写は彼のことを思いながら観ていた。観てほしいなあ、感想聞きたいなあなんて。

あと全体的にグレーとネイビー系のカラーテイストがいいのだけど、ここでアクセントカラーになるピンクの色が絶妙でめちゃくちゃよかった。
美容おたくなので、色の温度とか彩度が合わないとソワソワしちゃうんだけど、すんごいしっくりくるのにアクセントになるという絶妙な色。

終盤の「無敵の人」については、個人的に1年半前くらいから思うことがあって。
朝井リョウさんの『正欲』の中の、
“──社会的な繋がりとは、つまり抑止力であると。法律で定められた一線を越えてしまいそうになる人間を、何らかの形でその線内に留めてくれる力になり得ると。”
という一節。
フィクションなのでこれが朝井リョウさんの考えなわけではないが、作中の人物いわく、つまり「社会的な繋がりがない人」には「留めてくれる力」がはたらかず、いわゆる「無敵の人」とはそういう人を指すということだと思った。
けれど、ならば社会的な繋がりがあれば、人は法律で定められた一線を超えないのだろうか、と読んだ当時に思ったことを思い出した。社会的な繋がりとして結婚している人は、法律で定められた一線を越える不倫をしないのだろうか。そんなはずはない
ある人にとっては抑止力が社会的な繋がりであるかもしれないが、ある人にとっては社会的な繋がりがなんの力も持たないこともある。
監督の解説を読むと、自身も自身から映画を取ったら何も残らないことを思うと無敵の人の気持ちがわかる気がした、という旨(すんごいざっくり、詳細は解説読んで🙏🏻)のことを書かれていて、
たとえ社会的な繋がりがあったとしても、ほかのなにかが欠けることで誰しも「無敵の人」になる可能性があること、その危うさなんかを思ったりした。

『JOKER』や『ニトラム/NITRAM』を観た影響もあるのかもしれない。
あと今村上春樹の『アンダーグラウンド』を読んでいるのも相まって、もうほんと電車こわいってかんじでした。
10分に1本しかこない田舎の電車だし、実際乗るときにはそのことをすっかり忘れてしまってるんだけどね、、、

あとこわいといえば、作者の鈴木竜也さんがわたしと一つしか歳が変わらないこと。
年齢の近しい人をすごいと思えば思うほど、それに比べて自分は…という気持ちと、自分がまだ何もしていない焦燥に駆られる。
sakura

sakura