真一

福田村事件の真一のレビュー・感想・評価

福田村事件(2023年製作の映画)
3.5
 「本当は日本人なのに、こともあろうに朝鮮人に間違われて殺された悲運の讃岐行商団の物語」。あれこれ考察せずに感想を言えば、残念ながら、ここにたどり着いてしまう。関東大震災直後の混乱期とは言え、朝鮮人と間違えて日本人を殺すなんて、絶対に許されない―。こんなレイシズムを背景としたメッセージを本作品から感じ取った人がいたとしてもおかしくない、危うい演出が目につく。

 右翼の突き上げを恐れ、政府も、与野党も、マスコミも口を閉ざす関東大震災時の朝鮮人虐殺。そのタブーに、反骨精神を売り物にする森達也監督が挑んだと聞いて、期待に胸を膨らませて見入ったが、納得いかなかった。日本人が間違って殺される事件を題材にしないと、日本人観客の理解を得られないと考えたのだろうか。日本社会に脈々と息づくレイシズムを暴露するつもりが、作り手の心の中にある無意識のレイシズムを図らずも作品に投影してしまったのではないか。こんなふうに勘ぐりたくなる。

 気になるのが、虐殺に加担した民衆の描き方だ。水道橋博士が演じる、絵に描いたようなファナティックな在郷軍人を含め、みんな、赤鬼青鬼のような形相をしているのだ。「レイシストとは『ぶっ殺してやる!』と叫びながら竹槍を振り回す連中だ。鬼畜みたいな醜いルックスだ」―。こうしたイメージを観客に持たせることで、レイシストへの嫌悪感を持たせたいという狙いは分かる。

 だが、大音声で竹槍を振り回すことは、決してレイシストの条件ではない。見た目が醜いかどうかでレイシストかどうかを判断するのも非科学的だ。「15円50銭」と言えるかどうかで、日本人か朝鮮人かを区別するのと同じように。羽生結弦君や吉沢亮君のような美形で、なおかつ、理性的な表情を見せながら民族虐殺を煽る人物がいたとしても、全くおかしくないはずだ。むしろ、光り輝くイケメンに、イケボで

 「朝鮮人が井戸に毒を入れているなんて信じたくない。でも、火のないところに煙は立たないと言うじゃないか。僕はヒューマニズムを信じる1人だが、座して死を待つわけにはいかないよ。さあ、立ち上がろう」

といった、しびれるセリフを言わせるべきだったのではないか。一見理知的にも聞こえるレイシズム発言を突き付け、感情移入する一歩手前まで引き込むことによって「虐殺に加担した彼らは、私たち自身だったのか!」という不都合な事実に、観客は初めて気付くのではないかと思う。

 朝鮮人を虐殺から守ろうと体を張る日本人―なぜかルックスはそろって良かった―が次々と登場するのも気になった。そうした気骨ある人は、もちろんいただろう。否定しない。だが本作品は、朝鮮人虐殺という惨劇を引き起こした日本社会のレイシズムを赤裸々に描き、現代を生きる私たちに警鐘を鳴らすことを目的としていたはずだ。「実はこんなにいい人もいたのです。日本は捨てたものではありません」というメッセージを、あれほど打ち込む必要はなかったと思う。そうした描写からは「自国の歴史を美化したい」という無意識の欲求がにじみ出ているような気がしてならない。

 そうは言っても、朝鮮人虐殺をテーマとした映画をつくりあげたこと自体、今の日本の現状に照らせば、快挙だと思う。もし私が「自らの危険も顧みず、タブーに切り込む気迫をお前は持っているか」と聞かれれば「すみません。ありません」と答えざるを得ない。それどころか「あそこに朝鮮人テロリストがいる!」と叫んで追いかけ回す集団を目にしても、わが身が可愛くて見て見ぬふりをしてしまうかもしれない。本作品を見終えた今、そうした自分の弱さを自覚しつつ、日本を覆うレイシズムと向き合う必要があると実感している。
真一

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