ShuheiTakahashi

福田村事件のShuheiTakahashiのレビュー・感想・評価

福田村事件(2023年製作の映画)
4.0
これは生きている人が生きている人を殺した話。
情報や社会が殺したわけではない。
名前のある人が名前のある人を殺した。

村人の生活を描くことで、ただの加害者で終わらせていない。
被害者もただの被害者ではなく、生活をしてきた生きている人なんだ。
簡単な善悪の二極論で終わらせていなかったのは良かった。
朝鮮人を排除しようと村人が団結する。
それは戦争ごっこだった。
日常のストレスや、戦争に行きそびれた人たち、発散する場所、相手が欲しかっただけだ。
気持ち悪い。
大多数に意見すると、それは誰かに味方することになるのだろうか。
反対すれば何かに賛成したことにはならない。
ただ反対しているだけなんだ。
敵か味方か、その2つしかないのは危うい思想だ。
カトウシンスケさん演じる劇作家の考え。
永山瑛太さん演じる行商人の朝鮮人なら殺してもいいのかという言葉。
何なら殺して良くて、何なら殺してはいけないのか。
人の勝手な決めつけでしかない。
私はヴィーガンだ。
動物性を買わない使わない食べない。
何を殺して良くて、何なら殺してはいけないのか。
誰が害と決めている?
何を害としている?
そんなものは何一つない。
見えないものばかり信じるクソども。
水道橋博士演じる元軍人の会長みたいな人が行商人たちを殺した後、日本人だとわかり、警察や国のせいにしたのは情けない。
なに殺した責任から逃れようとしてるんだよとムカついた。
どれだけ後悔しようと、どれだけ申し訳なく思ったとしても何の意味もないが、どれだけでも考え続けなければいけない。
これは当事者に限らず。
私たちも既に同じ立場にいる。
舞台挨拶で井浦新さんが竹槍がSNSに変わっただけと言っていて、心に残った。
誰しもが武器を持っている。
矛先を誰に、何に向けて生きているのか。
自分に問いたい。
社会の当たり前や、ニュースやネットで流れる情報を正しいと思い込み、自分の頭で考えずに、多数派に呑まれていく。
普通はたくさんだ。
普通は沢山なだけなんだ。
数が多いだけで、正しいわけではない。
私はコロナが流行っていたとされていた時もマスクもしないしワクチンも打たなかった。
国の都合の良いように同じようなニュースしかしないのは今も変わらない。
私は最初からニュースを見ないし、ネットの情報も鵜呑みにしない。
誰を信じるのか。
見えない社会やネットの記事を信じるのか。
私は自分の頭と心を信じる。

提岩里教会事件について井浦新演じる元教師がパートナーに話している時、朝鮮語だけで字幕がないシーンがあった。
教会に朝鮮人を入れるために言った言葉。
あのシーンを何故字幕なしにしたのか。
その意図はなんだったのだろう。
想像させたかったのか。
でもそういう勝手な想像や思い込みが危ないのではないだろうか。
「三月一日の萬歳事件で、我が国はあなたたちの国にあまりにも酷いことをしてしまった。それを謝罪しに来た。だから、教会の中に入って欲しい」と言ったらしい。
でもこれはネットの情報だ。
パンフレットに書いてあったらしいが、それも本当だろうか。
こうして疑い続けさせたかったのだろうか。

そして加害者側の生活が暮らしというより濡れ場であったのは少しもったいない気がした。
必要あったか?
特に向里裕香さんが胸を出してごめんねと謝りながら柄本明さんの顔を抱き締めるシーン。
父親にパートナーを寝取られた男と、パートナーがいない間に寝取った男の衝突が描きたかったのか。
向里裕香さんが大好きな俳優さんなだけに。
濡れ場というか裸。
閉塞的な村において、戦争の話か農作業か、誰と誰が浮気してるだ何だの噂話くらいしかすることがないのかもしれないが、それにしてもだ。
ストレスが溜まっていく様子を描きたかったのだとは思うが、もう少し仲の良い雰囲気もあって良かった気がする。
対照的に描いたのだとは思うが、行商人たちは仲良く和気あいあいと皆で食事をするシーンがあったが、村では誰一人として笑顔で食事するシーンがなかった。 
加害者と被害者の差なのだろうか。
そういうもので差を描いてほしくなかったな。
ShuheiTakahashi

ShuheiTakahashi