震災の時はテレビで「識者」と呼ばれる人たちが「中国人が、韓国人が」と堂々と言っていたのを久しぶりに思いだしたしコロナの時は○○警察の方々が目を光らせていたのが記憶に新しい、一役買ったのがSNSだった。作中では新聞が偏見を広げる事に加担していたが、報道やジャーナリズムに対する信用が地に落ちている上に最近また底が抜けたように感じる今、記者の方が最後に言った一言が自分には全然響かなかった。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というけど結局自分たちは何からも学んでいないように感じる。だからという訳ではないけれど、今作を鑑賞することによる映画体験は学び直しの機会なのかも知れない。有名な方が多く参加している事や上映館数が増えている事は個人的には良い事だと思うし、何より今作は映画としてちゃんと面白いのが素晴らしい。面白くないと伝わるものも伝わらない、っていうのが自分の感覚なので。
個人的に飴売りの少女が名前を叫んで最期を迎えたり、被害者がただの数字ではなくそれぞれがきちんと生きた個人であったことを示すシーンは個人的にああいったシーンが好きなのでグッと来たのと、極限状態の中で長谷川が名前を呼ばれた時に「分会長だ!」って個よりも役職を優先させたあの対比があまり見た記憶が無くて凄く印象に残りました。長谷川に関しては最終的に国に裏切られたっていうか被害者であるかのような叫びをあげていたのが「最低やな」って思うけど言いたい事は分かるって感じで、すごく人間味があって(嫌いだけど)好きでしたね。噂や真相とそれらに容易に操作される人の心理を地震が起こる前から様々な形で入り込ませた構成もなかなかに見事だったなって思いました(なんか上から目線っぽい)。
ただ配役や演技に関しては「いかにも」なものを揃えすぎている事もあってちょっとルッキズムに通じるものを感じてしまいましたね。それを合わせて脚本にも感じるある程度の作為が今作の新聞記者が抱えているテーマとちょっと矛盾しているんじゃないのかなってどうしても思っちゃいました。