ただの愚痴になりました。
田中麗奈さんがいなければ最後まで観れなかったです。
鬼滅の刃が人が死にすぎて辛過ぎて甘露寺蜜璃という存在がなかったならば最後まで読み進めることが出来なかったことと少し似ている。いや全然違うか。
ラスト30分くらいが特に辛すぎました。
人が愚か過ぎてしんどかったです。
村社会がしんどいです。
女の扱いが雑でしんどかったです。
そんな中で田中麗奈さんが素敵すぎました。
大正モガ最高でした。
ありがとうございます。
映画は盛り込み過ぎだよね。
製作者の妄執と呪いが強過ぎて映画としては失敗なのではないかと思います。
いったいこの映画の何が悪かったのだろうか?
澤田夫妻もなんだか残念だったし。
平澤計七のエピソードは全然いらない。この辺りの当時の赤狩り的な描写とそれが正義だったというようなイデオロギーが匂って、もうそういうのはいいよと辟易でした。
新聞記者のエピソードも正直微妙。
新聞記者のエピソードが史実と違い歴史の闇を暴こうとした希望だというならば、それはジャーナリズムの後ろめたさからの言い訳なのではないのかと私は思ってしまったのです。
若い女性記者に反省をさせることでメロドラマのような悪い言い方をすれば感動ポルノになってしまったように感じた。
その分をもっと村人と行商人たちの描写に費やして欲しかった。
実際に起きてしまった悲しい事件をモチーフとした作品を撮るならば、映画を観終わった後にひとつの希望を観客に示して欲しいと私は思ってしまうのです。
群衆の中に事件を止めようと奮闘した者たちがいた。
自らの行いを葛藤し続けていた者は声を上げ勇気を示した。
その者たちも歴史の闇へと消えていった。
象徴的な月明かりの中を渡し船で向こう側に漕ぎゆく澤田夫妻のラストシーン。
もう少し澤田夫妻が活かされ深掘りされていたのならば消化不良にはならなかったと思います。
澤田夫妻が見えなくなるくらいまでゆったり見せてくれたら良かったのにな。
それも残念です。
全体的にモヤモヤの連続で疲れました。
そして、この映画で一番釈然としないことは、前半の女たちの情事と不貞の理由を「寂しかった」として、そこはとても良いアイデアで、人の営みを感じさせながらも、国の都合で引き裂かれた気持ちと関係性を「寂しい」で理由付けることで一気に登場人物の解像度が上がることが素晴らしかったのに、それらのシークエンスが憎悪への引き金や、踏みつけられた想い、押し殺された声といった空疎な使い古された表現としてしか最終的には機能していないことにモヤっとした。
善悪はともかく、女の寂しさを抱えて墓まで持っていった男のエピソードが、男の嫉妬を拗らせて差別しちゃう愚行にしか昇華しないとか胸糞だよ。
風呂敷広げたらちゃんと畳もうよ。
人は愚かで悲しい生き物です。それでお終いなのはさすがに悲しすぎないだろうか?
なんかせめて女同士でつながって「寂しい」を共有してそれぞれが「寂しい」を抱きしめて生きていくとかあったんじゃなかろうか?
ディスコミュニケーションが原因だとしても、もう少し何か導いて欲しいじゃない?
奔放で自由な女的なモチーフを使いながらも、結局は男社会、村社会から抜け出せない、さす九的な女は要領よく立ち回り男を転がすのよ的な男的思考が匂うのが嫌だったのかなあ?
なんだか終始不快でした。
後世にこの事件を残すためにという使命感で撮った映画だとするならば間違いなく駄作だと思う。
中途半端なメロドラマと感動ポルノが作品全体を損なっていると思います。
それと無駄な性的な描写が多いことも気になりました。
エロを扱わなくても人間は描けると私は思います。
正直ラスト30分のショッキングな内容で評価上がっちゃっていると思うのです。
そこまで良い映画とは思いませんでした。