寄るべなき生きづらさを抱えた人による連帯、というか友達、仲間を作ろう映画になっていたし、そういう人たちに寄り添ったり声をかけることの大切さは描いていた
また台詞で大声で言ってくれるので、そういった人たちのことを理解しようとする大切さもわかる
ただここで描かれるフェティシズムがどう「社会にとって理解されず有害で悪な存在」であるか(こんな感じのセリフ)が描かれてない
田舎や昔の価値観から来る生きづらさや表面上理解してあげてる人たちに囲まれる辛さうざさは描かれるので、それとごっちゃにされて煙に巻かれている
この映画では例えば単純な脚フェチみたいな扱いになっててそれの何が悪いのか分からない
また高橋ヨシキさんが言うように(©️プレイボーイ)性的指向と性的嗜好の区別自体がテキトーに処理されてる内容(描かれていないからだが)
なので本人たちの葛藤やセリフで言われることとこの映画のタイトルでもあり描かれるべき正欲(性欲)が結びついていかない
最後の展開もその証拠だけでそこまでなるのは普通におかしくないかと思ったり
後は単純に話から要請される以上にカット数が多いと思う。この内容は2時間でいけなかったか?
そこは切れるだろというカットの散見を感じた
移動するだけにしろカットを重ね、それがキャラクターの生きづらさを表しているとという狙いなのかもしれないが、にしても冗長に感じる
「多様性!」という大学生や人間の薄っぺらさ、浅さはさすが朝井リョウ原作という感じだった