普通とは。
マジョリティもマイノリティも人間みな普通だとおもってるのでアートワークにあるようにマジョリティの稲垣吾郎と新垣結衣磯村勇斗のように分断されている世界を作中でも作るのは違和感がある。そうじゃないやろ?
レッテルを貼ることで同時にどちら側の人間もステレオタイプの描写を撮ってしまっている。監督や作者がそう見えてるんなら別にええんやけど。
そうしないと映画や小説ってコンテンツになりずらいってのはあるけどね。
正常位の下りとか恥ずかしすぎて見てらんないんよなぁ。
大人まで隠し通してきた人たちが俺達マイノリティだから普通のセックスわかんねぇなとかさ、解像度浅すぎんじゃない?って思うけどね。
でも終盤ショタコンだしてきたのは偉いかな、水ではなくて被害者がでてその側面もあるんだよ、って示しているのは偉いね。
映画自体は可もなく不可もなくかな、稲垣吾郎は相変わらずいいエグみをだしよるね。