朝井リョウの原作読了のうえ鑑賞。
多様性やダイバーシティという言葉の危うさ。LGBTQへの理解が徐々に進んでいる現代であっても、少数派のマイノリティは見向きもされていないのではなかろうか?(或いはより生きづらくなっていないだろうか?)
本作は「多様性を理解していこう」というダイバーシティ的な作品では決してなく、寧ろ性的嗜好を、個人で抱えるか、同じ嗜好の仲間としか共有できないものとして、ドライに捉えられているようにも思う。
この「同じ嗜好の仲間」が大きいか小さいかだけの問題なのかも知れない。
(事実、夏月と佳道は最後までマジョリティ側の啓喜に理解されることがない。)
映画としては、尺の都合もあってか、原作小説ほど登場人物が深掘りされず、淡々と流れてしまうような感覚に勿体なさを感じる。
特に八重子と諸橋大也の口論のシーンは本作のお気に入りだったがゆえに、物足りない。(大也だって決めつけている側だという八重子の反論が素敵なのに…。八重子役の女優の演技は見事だった。)
孤独に生きてきて、死すら考えていた2人は、最後まで他人には理解されずとも、2人で一歩前に進んでみせる。
他人を理解することであったり、広く受け入れることを良しとする世の中にあって、少し居心地の悪い終幕であるかもしれないが、非常に美しくもあったと思う。