YuikiKoiwa

フェイブルマンズのYuikiKoiwaのレビュー・感想・評価

フェイブルマンズ(2022年製作の映画)
5.0
純粋無垢な少年にとって映画とは夢だった。

芸術家の母親にとって映画とは理想だった。

技術家の父親にとって映画とは絵空事だった。

そして少年はやがて青年となり、彼にとっての映画は目の前の世界を書き換える魔法となる。

撮影という視点の選択。演技という感情の模倣。特殊効果という天候の操作。音響という事象の誇張表現。そして何よりも編集という時空の切り貼りと不都合の削除。

これらを総合して演出する個性は映画ならではであり、時に現実さえも凌駕する力を持つ。

それはカメラをちょっと上に傾けるだけの小細工に過ぎないかもしれないが、上手くすれば観客の心を手玉に取るように操ることができてしまう。

例え「映写機の電源が落ちれば儚く魔法は解ける」と知っていても、青年は世界にカメラを向け続ける。

現実がどんなに険しく苦難に満ちていたとしても、それは物語へと変質する。

それに含まれる一瞬の煌きをフィルムに焼き付けるならば、希望は決して絶える事はない。

いや、そうせずにはいられないのだ。

劇中で母のミッツィが「この身に起こる全ての事には意味がある」と語るが、サミーにとって映画を撮ることは混沌とした事実の中に意味を見出すのと同義だ。

そうして彼は重く冷たい現実を引き受け、今を生きる糧を得る。

この作品もまた"映画"であり、ここで提示される人生も想像の産物である。

だとしても、その一コマ一コマから放たれる光は現実を温かく照らすだろう。

だが同時に、映画は言葉にすることさえ憚られる残酷な真実で人を傷つけることも忘れてはならない。

優れた作家による作品は鋭く研がれた刃物と変わらず、用い方によっては凶器にもなり得る。

一つ確かな事は、それがSFだろうとドキュメンタリーだろうと、映画とは作家の主張と観客の応答の営みだという事だ。そのどちらが欠けても完結しない。

私はこの映画という人と人の織りなす素晴らしい芸術を愛し続けよう。


〜〜〜
ラストシーンのネタバレ考察はコメント欄に。
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