「大人は判ってくれないが僕には映画があったんだ」 : スティーヴンスピルバーグ(映画に愛されたではなく呪われた男)
世界中の子供たちに夢以上にトラウマを与えてきたと実は思っているスピルバーグ監督。その根源にはトラウマの記憶ないし家庭でも学校でも孤独だった陰鬱を映画という魔法の中に閉じ込め、観客がそのジレンマを汲み取った時とてつもない映画体験として共有させる。スピルバーグの場合主に父親に対する思いを引きずっており、父親代わりとなる宇宙人に夢を託した『E.T.』そして自虐行為のように愛する家族を置いて趣味に没頭しパラノイアと化す『未知との遭遇』ではUFOと一緒に旅立つ身勝手さをハッピーエンドのように描いてしまう。個人的にイクメン地獄映画だと考えている『宇宙戦争』しかり私情を反映する物語を描いてゆくこととなる1人の少年が身につけた映画力運動神経で無意識のうちに他者を傷つけていた影響力に迫る作品だった。
もちろん全部が全部辛辣ムードって訳でなく映画を撮影する喜び路線もあるがために、観る者の心情をズタズタに壊しにかかる。もう勘弁してくれ、とドンドン悪化するスピルバーグ少年ことサミーの精神、一向に修復されぬ両親の倦怠期夫婦視点、なのに腰を抜かすほどシネマティックな画の連続。琴線と涙腺を刺激しまくる演出の数々でパブロフの犬状態で感動した気にさせられた。何がスゴイってスピルバーグの必殺技である演者リアクションのクローズアップ芸が物語を左右する駆動装置として演出される。
それはサミーが初めて映画館に訪れた『地上最大のショウ』鑑賞からショックを食らったことを伝える。忘れることのできないあの列車と車のクラッシュは、家に帰ってもオモチャでそのシーンを再現する衝動が得体知れず込み上げる。その衝動は母親からカメラに収めることで解消できるのではないかと、8ミリカメラを渡される。スピルバーグは本作でその『地上最大のショウ』思い出を再現するとまるで人類が初めて『ラ・シオタ駅への列車の到着』を体験したショックのように新鮮な感性で魅せてしまう。なんたって『宇宙戦争』の冒頭、テレビをザッピングしてると、この列車が車をハネるくだりが流れるほど未だ特別なシークエンスらしいので、その衝動をフィルムの魔法の中に収めた時の喜びが今に繋がるという素晴らしい思い出を観れる。
サミーは様々な自主映画に挑戦し、不器用そうなでくの棒から感情を引き出す重要さを学び、溢れるリアクションをカメラで凝視すると同時に演技から帰ってこれない現象から撮影の不思議なパワーを感じ取る。並列し両親のギクシャクした関係性がいつの間にか戻せなくなってるすれ違いの妙が上手すぎた。趣味嗜好の開花に夢中な母と現実に役立つ発明こそ未来がある仕事一筋理系な父という真逆の性質に気がかりを覚え、それ以上を一切見せない造りに関わらず、これまたリアクションから痛みを訴える。
休日のキャンプのホームビデオを撮ったのち、膨大な映像量を編集する孤独さの中である見てはいけない場面をサミーは目にする。その編集された映像そのものは見せずに当のサミーもそれを公開するか否かで揺れる。両親の気がかりをコントロール出来てしまう能力に恐怖と葛藤を感じただろう。
映画は見た人それぞれに捉え方は異なってくる。そのエピソードを綴った学生バカンスのドキュメンタリー映画では、サミーをいじめてた相手を劇的に撮影していたのだった。いつもはイキっているそのいじめっ子も現実以上に理想化された自分を観て、まるで別人のように思えてくると、自らの足りなさを客観しサミーに弱みを晒してしまう。母親のダンスシーンを耽美に見せてしまえたように、被写体として落とし込むことで観る者の心理さえコントロール出来てしまう。無論このような神業はスピルバーグだから可能なのだが、劇的に描いた本作そのものはスピルバーグにとっての見られたくない側面を鑑賞しているようでなんだかクシャクシャな感情になってた。
中盤、芸術に陶酔することへの危険性を聞かされるサミーはその地点ではピンときてなく、家族を引き裂き破滅を招くという言葉通りの出来事を経てようやく真の意味に気付かされる。のだが、それでも尚茨の道を突き進むことで両親との引きずったモヤモヤを芸術でコントロールしていくという救いようのないお話だった。そりゃあ『大人は判ってくれない』にスピルバーグがシンパシー感じるのも無理ないなと思えるエグい内容が、某有名監督のふりをしたデヴィッドリンチがやってくる、お茶目な側面を放ち締めくくられるのだ。驚いていると、ホントにリンチみたいなこと言い出してデヴィッドリンチ節になってしまうかましに大笑いのなんのって。その発言に反応しカメラが少し首を振る遊び心は不必要だと思ったがミュージカルみたいなルンルン気分で終わらせる不意打ちもスゴい。
それと全編、撮影のヤヌカミマジ神マジックに唸らされっぱなしだったのは前作『ウエストサイドストーリー』同様で、ここにきてスピルバーグ監督も映像派作品として観ていかなきゃな、と印象受けたほど素晴らしかったです。