このレビューはネタバレを含みます
【2023ベスト】
①2023/03/17
②2024/03/03
③2025/02/08
映画館で3回目の鑑賞。参りました。
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公開からちょうど1年なので再鑑賞。1年間ずっと心の片隅にいてくれた作品。ここまで静かで地味なのに自分の心の根源的なものに触れてくれた。
映画の機械的な“仕組み”について説明する理系の父親と映画が“如何に心を動かすものなのか”を説明する芸術肌の母親。そしてスピルバーグは『地上最大のショウ』を見て茫然。『ラ・シオタ駅への列車の到着』を見て観客が現実のものだと思い観客が大騒ぎし、逃げ出したと言われるように現実と映画の境界が分からなくなる感覚。「何かを自分の思うままにしたいのよ」という母の思いからフィルムをもらい、それに呪われてしまう人生が始まる。
トミカ同士をぶつけて遊んでたり、人形同士を戦わせてた自分にとっては"衝突"がいかに子供の心に衝撃を与えるのかをとても理解できる。不謹慎な話になるが、小学生のとき東日本大震災のニュース映像を見て、もちろん怖いという感情も抱いたが、全てを無慈悲に破壊していく津波と地震を見て、心のどこかで「凄いことが起こってる!」と興奮してしまっている自分がいた。破壊/崩壊/激突のパワーは計り知れない。あと本作を見れば想像できるがスピルバーグは津波の様子をカメラで撮りに行くタイプの人間だ。
祖母が亡くなるシーンは呪いの象徴的なシーン。親類の死さえ、映画的にどのように利用(演出)できるのかを考えている。終盤、ついに父と母が離れ離れになりそうになり家族で揉めているシーンで、鏡を見るとフィルムをまわすスピルバーグがいるのもまさに呪いだ。ここは自分の家族の崩壊さえ、映画の一部だと捉えて現実逃避しているようにもみえる。
父から「ママを喜ばせてくれ」と言われ、キャンプ旅行のフィルム編集をしていると母親が浮気している姿が写っていることに気づく。残酷なことに、その映像を見てみるとそこに映る母親は今までで1番輝いてるのだ。しかしカメラはそういうものだ。カメラは被写体の限界を引き出す、引き出してしまう。そして、もちろん編集。“映ってしまう”という暴力を、“切り取る”という暴力で覆いかぶせる。
そして本作で一番好きなローガンとのシーン。プロムの映像のローガンのカッコ良さは満場一致だろう。しかし、「安っぽく、黄金の何かのように見える!」とローガンは激怒。まさに監督と観客の受け取り方のズレ。スネ夫ポジションにいる陽気なやつにはプロムの映像内で軽く制裁はしているので、ローガンをそう映していないということは、怒らせるつもりは本当になかったんだと思う。ただローガンの持つ"美"にスピルバーグ/フィルムは抗えなかった。そこに悪意は無い。
結局、最初から最後まで「何かをフィルムに収めるって暴力/残酷だよね」と映画の負の側面について描き続ける。ただ本作の肝はこの“業”とも言える呪いを軽々しくスピルバーグが超えていくところ。それを象徴するラストカット。「あ、忘れてた!今も映画撮ってるし、これからも映画撮るし、ぜひ楽しんで!」みたいな終わり方だ。もう狂気以外の何物でもない。自分が天才じゃなくて本当に良かった。