ナガエ

山女のナガエのレビュー・感想・評価

山女(2022年製作の映画)
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ちょっとなんとも言いにくい映画ではあったなぁ。ダメだったってことはないんだけど、ズバッと来たという感じでもない。ただ、上手く説明できないが、「観て良かった」という感じはする。

先に書いておくと、そもそも「セリフが8割ぐらいしか聞き取れなかった」という問題がある。舞台は、18世紀後半の東北。いわゆる「東北弁」というやつだろう、東北の人以外にはきっとなかなか聞き慣れないイントネーションで、ボソボソと喋る(以前、東北は寒いから、なるべく口を開けずに話せるようになっていった、みたいな話を聞いたことがあるので、きっとこれもリアリティの追求なんだと思う)。そんなわけで、「推測を混じえても、8割ぐらいしか聞き取れない」という感じだった。

各場面で何が起こっているのかは、観れば大体分かるので、セリフが聞き取れなくても物語の理解にそう支障が出るわけではないが、ただ、「僕の場合は推測込みで8割ぐらい聞き取れた」というだけで、恐らくもっと聞き取れない人はいるだろうと思う。「推測」のためには、いろんな言葉や知識を知っていたりする必要があるから、それが上手く働かないと、「5~6割しかセリフが聞き取れない」みたいな観客がいても全然不思議ではないと思う。

この辺りは、リアリティとの兼ね合いが難しいポイントだと思うし、別にこの映画のスタイルが悪いとも思わない。ただ、現実的には「観るハードルは少し高い」といえるだろう。リアリティを追求したが故のデメリットであり、受け取り方は人それぞれか。

冷害に悩む農村が舞台であり、「遠野物語」に着想を得た物語だそうだ。

映画を観ながら、「人間の醜悪さ」を痛切に感じさせられたが、しかし、当時を知らない我々には、単に「醜悪」で切って捨てて良い問題でもないのだと思う。つまり、「あそこまで醜悪にならざるを得ないほどの冷害であり、まさに死が差し迫っていると感じられる中での行動なのだ」という視点は捨ててはいけないのだろう。

にしても、やはり醜悪だ。そしてそういう中で、まさに「凛」として生きる一人の少女の姿を描き出す映画である。彼女の置かれた境遇や、彼女がした決断、そしてその顛末などについて「良し悪し」で語るつもりはないが、生まれながらに「絶望」でしかない環境の中で、それでも「己の決断で生き方を選んでいる」と言わんばかりの凛の生き様は、それとはまったく対照的な父・伊兵衛の振る舞いとの対比もあって、とても「美しい」ものに見えた。

先代の「盗人」の罪を今も背負わされ続けている家に生まれた凛は、「生まれてきたが、育てられないから殺めてしまう子供」を家族から預かり弔うという「汚れ仕事」でなんとか生計を立てていた。父親の曾祖父の罪にも拘わらず、村では未だに「罪人」扱いされる父は、その状況に憤りを隠さないが、凛は「そういう家に生まれてしまったんだから仕方ない」と、自身の境遇を諦め気味に受け入れている。
そんな彼女の救いは、村から見える早池峰山。そこには「盗人の女神」がいるとされ、貧乏人も金持ちも罪人も、人は死んだら等しくそこへ行くと凛は信じていた。
幼馴染(だと思う)で、遠くまで旅行商をしている泰蔵は、村では除け者のされている凛とも普通に話す仲だが、「自由に生きればいい」という泰蔵に対して、「私とあんたは同じじゃない」と口にする。凛は、この村から出ることもなく、今の「罪人の家の子」という捉えられ方も変わらないまま一生を終えるのだろうと思っているはずだ。
しかしある日、思いもかけなかったことから、凛の人生は予期せぬ方向へと動き出していく……。
というような話です。

個人的に、山田杏奈が結構良いなと思っています。最初に山田杏奈に注目したのは『ひらいて』、それから『彼女が好きなものは』でも絶妙な役を演じていて、なかなか良い存在感の役者さんだなと思っています。

この映画でも、山田杏奈の存在感がかなり作品を自立させている感じがします。普段は「可愛らしい」という感じの女性ですが、『山女』では終始「疲れ切った農村の娘」という雰囲気で、そしてそれが決して浮いてない。「可愛らしい」という印象の人がやるには両極過ぎる役柄な気がするけど、その辺りの調整がとても絶妙だったなと思います。良い感じでした。

そして、そんな凛(山田杏奈)の父親として出てくる伊兵衛を演じる永瀬正敏も、絶妙な「クズ感」を表現していてお見事でした。永瀬正敏がクズであればあるほど、山田杏奈の「凛とした感じ」が引き立つという構成の物語なので、永瀬正敏のクズ感は大事でしたね。

なかなか人に勧めるのが難しい映画だなぁ、という感じはしますが、雰囲気とか存在感はなかなかの作品だったなと思います。
ナガエ

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