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aftersun/アフターサンのmarimoのレビュー・感想・評価

aftersun/アフターサン(2022年製作の映画)
4.3
当時の父と同じ31歳になるソフィ
11歳の夏を思い出す
今ならあの時の父の気持ちが分かるかもしれない

もうなんだか
このあらすじだけでエモいんです

そんな私のあの時…
私が小6の時の父親と同い年なんだなと

当時、父は単身赴任でマレーシアに住んでいた
私の初めての海外旅行は夏休みに父に会いに行ったマレーシア

なんだかこの作品とめちゃくちゃ重なるんです
国も違いますし、両親は離婚してないのですが

この海外で父に会うというシチュエーションがとにかく重なる

今の自分が当時の父と同じシチュエーションに置かれたらどんな感覚なのかなと思いに耽る

空港で私の姿を見た時に父はどんな気持ちだったのか
空港で私を見送る時に父はどんな気持ちだったのか

記憶と記録
思い出す当時の景色は
私の記憶
記憶はさまざまのフィルターを通して実際の出来事とは異なるもの

感情によるフィルター
経過によるフィルター
年齢によるフィルター

小6の当時の自分が感じたこと見たことを再現することはもう出来ない

この映画におけるソフィが思い出す記憶の中の父は3つの要素から構成されている

記憶の中の父の姿
想像による父の姿
ビデオカメラに映った父の姿

本作のソフィの父に起きたであろう結末は言及されていないが想像はつく
ソフィにとっては大きな傷となりそれを抱えた20年、そしてこれからも続く傷
もう父はいない

作品自体は悲しい結末なのだが
それでも記憶に残る父
ビデオの映像に残る父
全てがソフィにとっては大切な記憶

直接肉眼で捉えたもの
鏡に反射したもの
電源の落ちたテレビに反射したもの
記憶で補正されたもの

記憶だからの曖昧さ
曖昧だからこその美しさ
現実の再構成だからこその切なさ

その全てがこの作品内で描かれていて
記憶、記録
思い出
家族
その自分を構成する全てが
嬉しく、楽しく、悲しく、儚い

記憶だけを頼りに過去の自分を思い出しても
今の自分の価値観で補正された記憶でしかなく錯覚する

記録した写真などで当時の自分を見ると
その時の記憶が流れ込んできて擬似的に当時に繋がる感覚になる

私が小6の頃は思い出を映像に残すことは気軽には出来ず
過去を遡っても幼稚園、小学校低学年の映像が残っている程度
おそらく経年劣化でもうまともに再生は出来ないかもしれない

あの時
小6の夏に父とマレーシアで会った事実は記録ではなく記憶だけ

たまたま
20年ほど前の父親の写真を見つけた
父のデジカメの写真を私のパソコンで読み込みプリンターで印刷したろう
もう当時の記憶も曖昧だ

その画像データがたまたまOneDriveの写真アーカイブに保存されていた
保存した記憶もないので自動で保存されていたのだと思う

写真に映る父はだいぶ若い
それでも今の私よりは年上の父

なんだか今週末に父に会いに行こうと思ってしまった
marimo

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