やす

マンティコア 怪物のやすのネタバレレビュー・内容・結末

マンティコア 怪物(2022年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

Filmarksの試写会に当選し、映画美学校の試写室にて鑑賞。
試写会応募の条件に、鑑賞後のスコア設定/レビュー投稿があり、スコアはやむを得ず設定。
本心はスコア付けられず、なので中庸の3.0で。
スコアが付けられない理由は後ほど。

鑑賞後のトークイベントは初めての経験。
高橋諭治さんのトークイベント込みで、満足感の高い試写会でした。

以下はネタバレ含む。

高橋さんのトークで、作品自体の理解が非常に深まったし、監督の背景があってこそのマジカル・ガールであったり、本マンティコアというう作品が創られたことに納得。

特に最期の身投げするシーンが、エクソシストの同じようなシーンと身投げ理由は一緒ではないかという考察、非常に共感、激しく同意!
鑑賞直後は、エクソシストを観たことがないこともあり、なぜ身投げしたかは、なかなか理解出来なかったし、自分で推測できるどんな理由もしっくり来なかった。
それがエクソシストと同じ、『怪物を退治するため』は、それ以外ない!と自分でも言い切れるほどの納得感。

もちろん、トークのオチとも言える太田胃散のくだりも感服。
鑑賞中、CMで聞いたことあるなと思いつつ、なかなか何のCMだったか思い出せずモヤモヤ。
まさか、高橋さんのトークで答えを導き出してもらえるとは😊
感情からくる『胃がキリキリ』なんて、感じたことはなく、飲みすぎたときとか体調からくる『胃がキリキリ』しか感じたこと無し。
それが、映画を鑑賞中に『胃がキリキリする』なんて表現があるとは、しかも太田胃散の曲のシーンなんて、トークの展開が秀逸!
楽しませてもらいました👍

では、この作品を評価するとどうなのか?人に薦められるか?は、非常に複雑。
自身の特殊性癖をつまびらかにさせられそうな危うさ、自身の倫理観の是非を突きつけられそうな恐怖。
スコアが高ければ、本作品の特殊性癖を認めたことになるのか?
低ければ、多様性への感受性が低いことになるのか?
薦めるのであれば何故なのか?
面白かったからなのか?何故面白いと感じたのか?
薦めるからには理由が必要でしょう!
例えば、『あなたならどう感じるか?』に興味があるから、とか聞いてみたいとか。
じゃあ、自分はどうなの?と聞かれることを想定すると、答えるのが恐怖。
これは、観たい人が観て、感想は自己消化するのが賢明と思わせる作品。
決して、感想を言い合いたい、なんて作品ではない。

『誰も傷つけてない』というセリフについては、それで良いのか?
傷つけなければ何をしても良いのか?
その先に、人を傷つけることが待ち受けているのでは?
VRで妄想するだけで未来永劫満足できると言い切れるのか?約束できるのか?
妄想という入口に入ることが否定されてもおかしくないのでは?
入口に入らないことで人を傷つけないことが保証されるのでは?

例えが適切ではないかもしれないが、殺人事件を起こす前に動物虐待が入口にあるような…

フリアンの『誰も傷つけてない』に、自分だったらNOを突きつける。
誰かを傷つける可能性があるならば、傷つけてないから良しではなく、その時点(この映画では妄想)で傷つけていると言っても良いだろうし、『傷つける』という視点で他人が嫌悪感を抱くのであれば自制すべきと伝えたい。
決して、多様性への感受性、許容性がない人とは捉えてほしくはないが…

結末のディアナがフリアンを介護するシーン。
高橋さんのトークで、なぜ『吐き気がする』から一転したかを理解。
そもそも、父親を介護する様子をフリアンが覗き見しに行くシーン、自分は口淫すら想像してしまったため、ディアナにファザコンという特殊性癖を感じながら鑑賞していた。
だが、高橋さんのトークで、共依存?自分が他者から必要とされる性癖?偏った承認欲求?がディアナの特殊性癖という捉え方は、『吐き気がする』から一転した理由として納得感が高い。

ひとつスッキリしないのは、邦題に入っていて、監督のインタビューでも表れる『怪物』という表現。
例えば、フリアンが目にしたクリスチャンの絵。
自分の理解は、決して神話のマンティコア・マンイーター、つまり怪物にフリアンを重ねて書いたのではなく、フリアンが話した夢の『虎になれると信じていた』を絵にしたら顔と体がそうなった、である。
決してクリスチャンは、フリアンが怪物に見えた、ではないはず。
だからこそ、あの絵を見て身投げという行動につながる、動機になるフリアンの心の内が分からない。

マンティコアとフリアン(怪物)をつなげることには無理を感じる。

しかし、身投げはエクソシストのラストシーンと同義であるという高橋さんの解釈への納得感の高さがあり、そういう見方でのフリアンに『内なる怪物』が存在していたことは、全く否定するものではなく、『怪物』という表現こそ唯一無二と言える。

こんなにも感想が書けるにも関わらず、評価できるか、人に薦めるかは、やはりNO!
やす

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