脳内金魚

⻘いカフタンの仕立て屋の脳内金魚のネタバレレビュー・内容・結末

⻘いカフタンの仕立て屋(2022年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

ハリムが「ミナに過去を救われた」とユーセフに言ったのは、本心であり真実だと思うし、彼のミナへの献身は真に心からのものであろう。
でも、ハリムにとってミナは「人として」愛することは出来ても、「性愛や肉欲を伴って」愛する人ではなかった。また、妻と言うよりは、親から得られなかった愛情を注いでくれる人だったのかもしれない。そんなハリムに、男としての罪悪感は多分にあるのだろう。恐らくミナもそれは気づいているが、そんな不器用さも込みでミナは、ハリムを愛していたし、それで十分と思っていたからこそ、ミナからプロポーズしたのであろう。彼女自身、自分はハリムを「男」ではなく「人」として愛しているから平気だと思っていたのかもしれない。あるいは、いずれ自分を「妻/女」として愛してくれると思っていたのかもしれない。

相手をどう必要としているか。あるいは、何を以て夫婦とするか。それは人それぞれだ。そこに性的繋がり(肉体的接触)は必須なのか。それに対する考えが双方同じなら問題ないが、ハリムとミナの場合はそうではなかった。もし、ハリムがセックスレスを貫き、自身の性的欲求を自分のなかで完結させてくれていれば、あるいはミナも気持ちの治めどころがあったかもしれない。でも、ハリムは外で他の男とセックスしている。セックス目的のハッテンバのようなところだし(どうやら公衆浴場が暗黙の場になっているよう)、気持ちは伴わないからいい?あくまで今現在彼が「愛している」のは自分だ。そういい聞かせていたかもしれない。けれど、ミナが自分で思っている以上に、ハリムを「男」として求めていた。そこにこの夫婦の誤算があったのだろう。

そうやって、長年彼らはお互いの気持ちを見て見ぬふりをして、取り繕いながらもうまくやってきていた。なにより、仕事ではよきパートナーだ。そんな二人の転機が、ミナの乳癌と、ユーセフの存在だろう。どちらも、ミナの「妻/女」としてのアイデンティティを大きく揺らがせた。前者は、乳房の欠損からの女としての自尊心やアイデンティティの喪失、後者は妻として、ビジネスパートナーとしての立場の喪失だ。
もし、ハリムがユーセフを仕事の後継者としか見ていなかったらよかった。けれど、明らかにハリムはユーセフに惹かれており、ユーセフもまた惹かれている。これに気付いたときのミナの気持ちは如何程か。この青年は全てをもっている。若さも健康も、ハリムの仕事を理解することも、仕立て屋としての後継者になることも。なにより、ハリムに性愛の対象として愛される「男」の肉体を持っている。ミナは余命幾ばくもないからこそ、先のある彼らが憎かったかもしれない。少し待てば、彼らは誰(なによりミナを)憚ることなく愛し合うことが出来る。(実際モロッコで同性愛が許容されているかは別として、公衆浴場に行けばセックスは出来るし、店のなかでも作業場など一目を忍んで逢瀬を重ねることは可能だ)自分が欲しくて得られなかったものをユーセフは手に入れるし、ハリムも自分を忘れ、この端正な青年と愛を交わすのか。せめて、気持ちがバレないようにして欲しかったし、そんなに密かにでも確実に惹かれ合う二人を憎く思ったかもしれない。きっとたくさんの葛藤があったはずだ。終盤の痩せ細ったミナと、若々しく瑞々しい肉体をもつユーセフの対比。その痩せ細った姿で、布の件が濡れ衣であったことを謝罪するのは、実は牽制だったのかも。若いユーセフには死に行く人の謝罪を突っぱねる強さはないし、その姿を見てハリムと添い遂げる気が果たして続くのか。実はミナの「女として/妻として」の意地であり、ズルいところ。それでも結局ミナは二人を受け入れた。それは、「男」としては愛してくれなかったが、「人」としては確かに自分を愛してくれたハリムへの真心だったのかもしれないし、やはり愛したハリムに幸せになって欲しかったのかもしれない。だからと言って、ミナにあんに二人の仲を認めるよと言われて、「じゃあヤッてきます!」とはならないとは思ったし、あそこでのささやかな指先の触れ合いこそが、ふたりが単に性欲だけでつながっているわけではない証左であり、今はセックスはしないと言うのが、二人なりのミナへの誠意だったのかもしれないと思った。

ハリムも最後の最後にミナに謝罪する。結局お互いズルかったのだ。
でも、ミナは誰よりもハリムのことを職人として、夫として、人として愛し信頼していた。ハリムもそれは分かっている。だからこそ、最期まで寄り添った。それを形にしたのが、あの青いカフタンをミナに着せることだった。あとは、職人を蔑ろにする潮流への抗議もあったのかもしれない。ミナが誉めてくれた最高傑作を誰に残したいのか。今の自分があるのは、ミナが職人の自分を最大限支えてくれたから。そのカフタンを彼女に着せたのは、ミナの献身へのハリムなりの愛情の示し方のように感じた。

伝統に則った死に装束を着ず、戒律を破ることになるので、誰もミナの墓地までの葬送に付き添わない。聖職者ですら。途中にあった葬儀シーンとの対比であり、如何にこの土地で戒律(宗教)が人々の根幹に根付いているかを象徴している。その戒律を破ることが、このコミュニティではどういうことになるかの暗示であり、そうしたハリムと、それに付き合ったユーセフの覚悟を示している。それがラストの二人寄り添うシーンに繋がるのか。

軽く調べると、イスラム教における同性愛は必ずしも禁止ではないようだ。ただ、宗教的禁忌と、人の好悪や許容はまた別であろう。

肉体的不貞がなければ、精神的不貞は許されるのか。正直、死を前にした妻のミナに全てが許される展開は全面的に受け入れられるわけではない。だが、この夫婦の場合は、最終的にそういった性愛とは別次元の、それこそハリムとユーセフの間にあるのとはまた違う愛情で確かに結ばれていたのだと思った。
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