脳内金魚

ヒトラー 〜最期の12日間〜の脳内金魚のネタバレレビュー・内容・結末

ヒトラー 〜最期の12日間〜(2004年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

タイトルこそ『ヒトラー』とつくが、メインの視点は彼の秘書ユングである。当初、わたしはこのユングは創作した人物と思っていたのが、実在した人物であり、本作はこの彼女の回顧録と、別の人物の研究所を原作として制作されたそうだ。
ヒトラーやナチ、そして当時の独国民の罪を真っ正面から描くこのドイツの姿勢はすごいなと思う。WWⅡといったら、まだまだギリギリ関係者やその直系子孫が存命だ。下手をしたら彼らから名誉毀損などの謗りを免れない。そんなリスクのあるなか向き合うのは本当に感心する。おそらくは、「今」を逃したら「記憶」と「記録」の両方が得られなくなるからなのだろうが。

Wikiによると一部描写に批判はあるようだが、わたしのようなヒトラーやナチスのことをおおまかにしか知らない者にとっては、考えるエッセンスを与えるという点では非常に優れた作品だと思う。(なお、批判された点は、いずれも劇中の人物が歴史的事実を無視して過度に善人に描かれたところだそうだ)

劇中のヒトラーは冷酷無比なだけの人物ではなく、秘書の女性たちには敬意をもって接し慕われている。愛人だったエヴァ・ブラウンも、「時の権力者」であったヒトラーではなく、素のヒトラーを愛しているのが分かるし、側近たちも彼に心酔している様が描かれる。特にゲッベルスは夫だけでなく妻も、ヒトラーと彼の理念を正しいものと信じ、子供達も「ヒトラーおじちゃん」と親しみを込めて呼んでいる。(知識として子供を両親が毒殺したとは知っていたが、年長の子供が自分達の処遇を察して抵抗するシーンは胸が詰まった)
また、彼自身の描写としても、敗戦が濃厚となってもユダヤ人への侮蔑と差別意識と言ったレイシストな面は変わらない一方、愛犬を安楽死させるときには目を反らしたり、自分に最後まで着いていくと言う部下たちに慈愛を示したりと人間らしい面も見せる。冒頭、元秘書のユンゲはヒトラーのことを「怪物」と称するが、実際の彼はこうした「怪物」だけではなく、「人間」としての面も多分にあったのだろう。だからこそ、人々は彼を盲信したのだろう。ヒトラーのこうした人物像を描くことに批判があったことも理解は出来る。けれど、レイシストとサイコパスはイコールではなく、レイシストはその人の人格全てがレイシストではないのだ。誰かのよき父よき夫、あるいはよき上司かもしれない。それはつまり、誰だって第二第三のヒトラーになり得るということだ。この辺りを履き違えると、誰だってレイシストになり得るのだ。人は大なり小なり、他者を区別し差別するものなのだから。映画『SKIN』でも、主人公の父はよき父よき夫だったが、レイシストだった。この矛盾する面を併せ持つのが人間であり、だからこそ分かり合う難しさなのだろう。

冒頭とラストに、ユンゲのモノローグとインタビュー映像が入れられている。そこで、彼女はこう述べる。少し長いが引用する。

「ニュルンベルク裁判で恐ろしい話は聞きました
600万人のユダヤ人や人種の違う人々が殺されたと…
これらの事実は――
大変ショックでした
でも私は、それを自分と結びつけられず――
そして安心していたのです
“自分に非はない”
“私は何も知らなかった”
そう考えていました
でもある日――
犠牲者の銘板を見たのです
ソフィー・ショル――
彼女の人生が記されていました
私と同じ年に生まれ
私が総統秘書になった年に――
処刑されたと
その時 私は――
気づきました
若かったというのは
言い訳にならない
目を見開いていれば――
気づけたのだと」

彼女の言うのは、自分で「知ろうとしなかった」罪だろう。無知は罪ではないが、知ろうとしないこと、それは時に罪になり得る。わたしは常々、それを思い返していきたい。
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