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ゴジラ-1.0のShoのレビュー・感想・評価

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
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なぜ全ての人物の感情表現を台詞で言わせるのかが分からなかった。なのに登場人物たちの感情描写が明らかに足り無い。明確にヒロインと主人公の愛が芽生えるシークエンスが無いので、過去を打ち明け抱き合うシーンにも感情が動かなかったのである。また本来なら名シーンなるであろう、ゴジラ対策部隊の決起のシーンも、負の感情に支配された空間を打ち破るような、感情を震わすリーダーの一言も無く、空気が勝手に一変した様は虚構の中に実際に生きる人たちでは無く、脚本に動かされている演者達にしか見えなかった。ゴジラでさえいち生命体としてでは無く、核分裂では無く脚本に動かされて機雷を飴玉のように飲み込む。また主人公と子役には実質の親子と見え難いような(演技の)壁のようなものが透けて見える。かつての整備隊長を呼び寄せる主人公の動機も不純で、自らの贖罪をしたいが為のエゴだ。ラストのB級映画のような大振りな終わり方も好きでは無かった。死に意味を持たせない、丸く収めるヒロインの生存もあまり刺さらなかった。

ブロックバスター映画の表現というジャンルは有るだろうが世界に取り沙汰された作品であり、日本古来から脈々と受け継ぐ俳句や文学の表現方法、死の意味を勉強しようと思っていたところの視聴であったからこれは深く考えるべきところだろう。

そして正直なところアカデミーはただのお祭りである。視覚効果賞はオッペンハイマーと合わせてゴジラを受賞させるという演出、世界情勢を鑑みた反戦的意味合いによって選出されているものであろうと推測する。やはりMPCやILMにはかなわないところ、少ない制作費で作ったこと、目新しい水の表現に評価軸があるのでしょう。ただそれと同時にvfx担当の会社、白組のスタッフの賃金環境も取りざたされたことも考えなければならない。少ない制作費には技術者の我が身を削った労働、戦時中の日本を支配した空気、あえて言うなら特攻的な思想によるものではないのか?作中では旧日本の体制批判に徹しているが映画の制作体制はいわゆる旧日本式ではないだろうか?社内の詳細な環境は分からないが、新卒採用の給与、ネットに浮かぶ元スタッフの声からはそう推測させる。

・泳いでいるゴジラの可愛さ。
・子供用の浮き輪つけてるみたいなゴジラ。
・熱線放射の予備動作
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