社会派サスペンスのような印象が予告編からあったのだけれども、さすがの是枝監督の作品。
パンドラの匣の底には希望だけじゃなくて愛まで溢れていた。
怪物だーれだ?
作品を通じて何度か投げかけられるこの言葉。
ありふれた日常のなかでほんの少しだけ、誰かのそれより、自分の幸せを優先したいと感じた時に、世の中や他人に対する不満や不安が溢れだしてきて、時としてそれらが怪物のように映し出されてしまうことがあって。
それは正しさとか必要以上に人間らしさを歪めようとする、今の世の中とその仕組みこそが怪物そのものなのではないかなぁと、そんな風に思いながら物語を追いかけていた。
みんなが誰かを必死で愛そうとしているのに、誰一人愛されていないかのような世界。
序盤から中盤にかけてそんなもどかしさや憤りが押し寄せてくるのだけれど、終盤というのか、掛け違えていたボタンたちが然るべき場所におさまろうとすればするほど、怪物たちは優しいケモノに戻っていくような気がして、後半は温かい気持ちになれた。
ラストシーンはなんでかわからないけれど、銀河鉄道の夜のジョバンニとカンパネルラを思い浮かべていた。
窮屈で退屈な社会。
子供はもちろん、大人たちにとっても、行き場のない心を開放してくれるアジールが必要なのかも知れないなぁとも思った。
残酷な物語から解放されたかのような、坂本龍一さんのhibariが流れるシーンがとっても綺麗だった。
もうライブが観られないなんて、どうにも寂しい。
飴のくだりだけ自分の中では辻褄が合わないなそういえば…